[映画][旧記事] It takes a pair to beat the odds.
先週の話だが、『リアル・スティール』(Real Steel, Shawn Levi監督)を観た(ネタバレ注意!)。『ソードフィッシュ』や『プレステージ』以来、ヒュー・ジャックマンは好きな俳優の一人だ。
さすがのハリウッドで、分かりやすく出来ていた。パンクラチオン・スーツで戦う『Pluto』のブランドのような設定というか、たどれば鉄人28号的というか、マンガやゲームでこういう話に触れてきた者にはそもそも馴染みやすい設定ではあるが、詳細をいちいち説明せずに、この近未来の設定をなんとなく了解してストーリーを楽しめるように作ってある。手に汗握るボクシング映画の要素もあるし、映像に全く違和感がないのは見事である。
一方、やはりハリウッドで、大味というか雑なところが気になった。例えば、タク・マシドたちがなぜATOMを怖れ、買収しようとしたのか。「ATOMのシステムは実はマシドの師匠の遺作で、ゼウスのシステムを超える可能性が…」みたいな展開があるかと思ったら、その辺の意図の説明はないままデンデンデーンと進んで、最後はよくある「錯乱したマッド・サイエンティスト」みたいなショボい扱いになってしまった。ATOMの能力を信じて疑わないイケイケの息子と、現実派で自信が持てない父親のやり取りを展開するための話だったのは分かるが、「ロシアの新興財閥」とか「伝説の日本人ロボット・デザイナー」といった設定を持ち出した割にはもったいなかった気がする。
もう一つ、息子のしゃべり過ぎも気になった。置かれた状況や、母親を失い初めて「父親」と過ごすこの文脈などを考え合わせると、要所要所では物分かりが良過ぎな一方、もともとロボット・ボクシング好きで勝ち気な性格だったとしても、勝負の前後でのガンコさや調子に乗り具合が極端だ。父親と息子の間のやり取りを主に物語を進めていく以上、止むを得ないところもあるが、それだけにもう少しデリケートな扱いが欲しかった。もちろん、セーシローくんやマナちゃんよろしく、ダコタ・ゴヨくんがスゴい子役なのは間違いない。
そんな感じだったので、精神衛生的なバランスを取るために、『50/50』(Jonathan Levine監督)も観た。
期待した以上に良かった。同じ日に観たから余計に対比的に映ったのかもしれないが、感情を極端に表現させるのではなく、言外の意味や感情の余白みたいなものの描写をとっても大事にしていた。例えば、上の予告にも観られるように、視線やしぐさ、歩き方、車に乗ったり降りたり、電話の扱いなど、ちょっとした挙動が細やかに描かれている。例えば、朝、彼女のシャンプーを躊躇いながら使ったり、辛い出来事の後で犬にエサをやったりといったシーンがあってもなくても本筋には何の影響もないだろうが、その時の、主人公アダムのしぐさや表情が漂わせる余韻があるかないかで全体の印象はまったく違う。
病気や死をネタに「感動させよう」とする話は嫌いなのだが、この映画は全くそうではない。インセプションの記憶も新しいジョセフ・ゴードン=レヴィット演じるアダムの、のみならず友人や家族の戸惑い・楽観・やるせなさ・ずぶとさ、要するに当たり前の感情の絡み合いが主。その不安定さとゆるさと重さのさじ加減がバツグンだ。根底に諦観を感じさせつつも、ユーモアが不幸を軽やかに包む。この辺はクドカンの脚本に似た感じがあるかもしれない。地味な主人公の設定も良い。終わらせ方も上手。
客の入りで極めて効率的に配分しているのだろうが、劇場ももう少し上映作品数や回数を考えてくれたらなあと思う。