[マンガ喫茶002] 『ヒストリエ』
この記事を書こうと思って検索した際に、最近になって『寄生獣』がアニメや映画になることを知った。ミギーは哲学的だし、異形のものたちを描いてきた多くの名作と同様、『寄生獣』には人間の存在や社会の矛盾を考えさせる要素が多く含まれている。だが私は、未完ではあるが、岩本均作品では『ヒストリエ』のほうを紹介したい。
岩本均作品にはいつもどこか物悲しさが漂う。絵としては、落ち着きすました表情の登場人物が多く、怖い、不気味という印象を持つ人も多いかもしれない。私自身、『寄生獣』の時は「端正な楳図かずお」という印象を持っていた(楳図かずお作品も好きだから問題ないのだけれど、おっかなさの指標として)。だが、その物悲しさと静けさをベースにひたひたと沁みてくる味わいこそ、他のマンガにない魅力だ(映画でいうとペドロ・アルモドバル監督作品という感じか)。言葉以上に、表情と間で語られる部分が良い。『ヒストリエ』は、最近の私が最も多く読み返してしまう作品だ。
紹介にある通り、「紀元前4世紀のギリシアやマケドニア王国・アケメネス朝ペルシアを舞台に、古代オリエント世界を描いた作品」で、「マケドニア王国のアレクサンドロス大王に仕えた書記官エウメネスの波乱の生涯を描いている」。歴史物と知って敬遠する人もいるかもしれないが、そうではない。これは、欲望や妬みや猜疑心、人の浅ましさと勇ましさ、知謀知略、それに抗い翻弄される人間のドラマであり、その舞台が古代オリエント世界であるというだけのことだ。エウメネスは実在の人物であるが、その生涯の大部分は分かっておらず、作品中の設定や出来事はほとんど創作である。
研究室には「教師を目指す人にはぜひオススメしたい」というマンガを取り揃えているが、そういうマンガではないように見えて『ヒストリエ』も実はその列に並ぶものだと考えている。幼いエウメネスが「泣かなかった」という話、サテュラと村の者たちの出会いと別れ、アレクサンドロス・ヘファイステオン・アリダイオスとの関係など、ちょっとしたドラマや小説以上に響くものがある。また、主人公のエウメネスは、幼い頃から書物の世界から多くを学び、知を愛する人物として描かれている。ボアの村で彼がその知識を一端を伝えることになった一節は、「教えることによって学ぶ」、あるいは知識の豊富化と再構造化の一端を表していると思う。好きなシーンだ。
To be continued…