[雑感072] 謝恩会で話すつもりだったこと。

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卒業生・修了生に向けたメッセージ。

どうも、こういう機会にうまいこと言うオッサンです。卒業・修了、本当におめでとうございます。学位記授与式が無くなったからといって、皆さんが4年以上の長い時間を過ごしてたどり着いた「卒業・修了」という悦ばしい出来事の悦ばしさ・誇るべき達成は少しも毀損されません。健康維持と感染予防に努めつつ、堂々と喜んで、堂々と次の一歩を踏み出してください。

「ことばが伝わる」とはどういうことなのか、ということを日々考えています。そのひとつの実演的試みとして、本当なら歌詞を、私自身の声を通してみなさんに読んで届けるつもりだったのですが、こういう次第ですから、まあYouTubeを借りてしまいます。

松崎ナオさんというアーティストの「川べりの家」という曲があります。NHKの「ドキュメント72時間」という番組の主題歌になっているので、聴いたことがある人も多いと思います。みなさんは、この歌詞から何を感じ取るでしょうか。

全体として、大人として自立して生きて行くことの自由と寂しさが伝わってくるような、そんな曲ですが、私がここで皆さんに問いかけたいのは、彼女が最後に「大切にして」と言っている「とても儚いもの」とは何だろうかということです。「一瞬しかない」らしい。

歌詞を単純に読むならば「水溜まりに映っているボクの家」かなと思えます。天気が悪くなったり暗くなったりすれば水溜りは家を映せなくなるし、時間が経てば水溜まりそのものが乾いて無くなってしまうかもしれない。そしてそれは、自分が大人になって借りた「家」そのものや、それが象徴する自由のメタファーかもしれません。

私は少し違う解釈をしています。彼女がここで「大切にして」と言っているのはむしろ、自分の家が水溜まりに映っていることを目に留めたり、それを指でかき混ぜては「いくらかき混ぜてももどってくる」なあと感じたりする、感性の瑞々しさのほうではないか。あるいは、「自転車で買いに行」った水槽に「はなしてや」った何かに「キラキラ揺らめい」た「奇跡の色」を見出す感性。自分が生きている世界をそういう風に感じる感性こそ、とても儚いし、だからこそ大切にしたいと言っているように思われるのです。

ふり返ってみると、今年、卒業・修了するメンバーは、そうした瑞々しい感性を私に感じさせてくれることが多かったように思います。一緒に過ごした月日の中で、みなさんのおかげで、私自身も喜怒哀楽を大切にできました。どうか4月以降も、それぞれの進路でその感性を思う存分発揮してください。そして、こんな時代だからこそ、その感性が紡ぎ出す「幸せを守るのではなく、分けてあげ」られる人でいてください。私も、次に会う時に干からびた感性でみなさんをガッカリさせないよう、水溜まりを見つけてはそこに映るものをかき混ぜていたいと思います。

ありがとうございました。

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