[本050] 加藤ほか『コミュニケーション・タスクのアイデアとマテリアル』
ご恵投いただいた、
- 加藤 由崇・松村 昌紀・Paul Wicking・横山 友里・田村 祐・小林 真実 (2020).『コミュニケーション・タスクのアイデアとマテリアル: 教室と世界をつなぐ英語授業のために』三修社.
は、先生がたの利用しやすさをよく考えた構成に、お値段以上の教材が多数収録された一冊。
個人的には、著者らのタスク観から見てもそうだと思うが、単元末に行うパフォーマンス課題のサイズというよりは、もっと頻繁に行う、帯での実施に向いたコミュニケーション活動の素材集としてオススメできる。実際、私が実践研究で関わる複数の先生に同書を贈った。
第1部の「タスクの基礎知識」が非常にわかりやすくて、失礼を承知で言うが、驚いた。すぐに実践する予定がなくても、この部分だけでも一読の価値がある。松村(編) (2017)に基づく後半はやや抽象度が増すものの、国内では、TBLT関連の議論はこちらをベースに展開することで論点がずいぶん整理されるだろう。
ただ、求められる認知的側面での分類としては本書の整理も良いが、授業論としては三浦ほか (2006)の整理のほうが好みだ。そして教材集に対しては求め過ぎとは言え、本書が日本の小中高の英語授業での活用にも向けられているとすれば、第二言語習得研究の論稿を参照する一方で、国内で示されている既存の諸文献について言及がないことには不満も覚える。私が三浦ほか (2006)のほうを好む理由は、言語活動には授業者のねらい(期待・想定)としての目的が必要だと考えるからであり、それを「意思決定」や「情報合成」と分類するよりも、例えばrapport-buildingを目的とする活動と考えるほうが授業づくりには役立つ場合が少なくないからである。
先日、大学の授業で言語活動の諸問題を考える際、シャベリカの宇宙兄弟Editionを用いた活動を事例として体験してもらった。引いたカードに書かれた質問をインタビュアーとして英語で訊いて、あとで取材内容を全体に報告する活動である。
この活動には、授業における「言語使用の自由」の問題が論点として含まれている。「言語使用の自由」はコミュニケーション活動を意味のある言語使用たらしめる何より重要な要件ではあるが、授業においてそこに一切「制約」がないのが良いかと言えば必ずしもそうではないだろう。与えられた表現をただ言ったり書いたりするだけでは言語活動にならないが、そもそもここで突然インタビュアーになる必然性は学習者にはないのだから、フリーハンドでただ「相手に質問してみよう」と言われても何をどう聞いたらいいか途方にくれてしまうか、おざなりの質問でお茶を濁すことになるのがオチである。
取り得る方法の一つは、目的・場面・状況を具体的に指定することでタスク性を高めることだ。しかし大事なことは、「決められた表現・形式を用いなければならない」、「先生が求める(唯一の)正解がある」と学習者が思っていないことであって、上記の活動によって英語にすべき質問内容をランダムに引いたトランプに決められる時、学習者が窮屈に感じるかと言えばそうでもない。名刺交換のタスクで、ほとんど言葉を交わさず名刺の受け渡しに終始してしまうぐらいなら、こちらの方がよっぽどお互いを知ることができ、ポストタスク活動としてのより良い表現の吟味もやり易い。結果的に非言語的に達成できる部分があるのは構わないとしても、言語のない活動になってしまってはダメなのだ。その点で「制約」が学習者のことばを生むこともあるという発想を持ったほうが良い(Cf. Dave Morris: The Way of Improvisation)。
実際、上記のシャベリカを用いた活動を行うなら、そういうrapport-buildingに資する(「絶対rapport-buildingしなければならない」と考え求めるのは逆に気持ち悪いので、あくまでそれに繋がるかもね〜ぐらいの)warm-up的な、あるいは単発の帯的活動と割り切ったほうが良いと私は考えている。これを発展させて単元のゴール云々とやりだすと無理が生じやすいからだ。そのことを敢えて実感してもらうために、大学の授業では、白紙のトランプを用意して、発展的活動としてオリジナルのシャベリカ・トランプを作る活動を実施したのだが、その話はここでは割愛する。