[雑感091][映画011]『14歳の栞』
すごく巧みに作られていて、良い意味で構成の勝利という印象を持った。もちろん丹念に時間をかけて様々な角度から撮っている。是枝裕和監督がかつて『もう一つの教育〜伊那小学校春組の記録〜』について語っていたように、なんらかの形でカメラやスタッフに慣れるまでの時間を費やしたのだろうし(加えて、カメラを意識する防衛的視線も2、3見られ、そのまま使われている)、そのレベルで見せているアイデンティティを損なわない撮り方・見せ方をしてくれているという信を生徒たちからも得ているようで、生徒たちもかなりの程度「よそ行き」という防衛的姿勢ではなく、学校圏にいる自分の姿や振る舞いを見せてくれているように映る。関わっている大人の多さや撮影の規模を考えると、これ自体すごいことだ。
そんなにオシャレに作る必要あるかな?!と思うほどだが、ただの観察ではなく映画であるので、生々しさをいくらか中和する意味では必要な演出かもしれない。だが反面で、たとえば教員養成課程に携わる学生や教員の全てが同じようにここから何かを汲み出せるかと言えばそうでもないだろう。その意味で、今後、教員養成課程で教材として使われることがあっても、ただ観せて感想を書かせるだけみたいな扱いは避けてほしい(そんなのは何につけてもダメだが)。
たしかに平板ではない縦断的ドキュメンタリーではあって、話の流れでそこも追っかけたとか、過去の写真・映像を提供してもらったという感じの、授業を観に行く程度では分け入ることのない奥行きで生徒の様子を垣間見ることができるエピソードもある。一方で、ドローンの空撮などはある程度事前に準備が必要なわけで、この映画に演出がないわけではない。だから映されなかった部分や、敢えて使われなかった部分を想像して補おうとすることも、一人ひとりや関係性を理解する上で必要なことだと思われる。この映画に切り取られ並べられたことの「分かりやすさ」の危うさも感じながら観たい。
撮り方として、とにかくたくさん撮って後で切り貼りの仕方を考えたのか、羽仁進監督が『教室の子供たち -学習指導への道-』について語ったように、個々の生徒のあらわれにねらいを持って観察していったのか、おそらく両方だろうと思うが、私が巧みだと思ったのは、前者にしろ後者にしろ、中学校や中学生を理解しようとする上で筋の悪くない切り取り方をしていたからだ。
「たくさん撮って」の方向で言うと、ひとつの学級に絞ったことや、所属している部活動での活動をキーのひとつにしていること、個のクローズアップと生徒間の関係へのフォーカスの切り替え・立ち戻りのバランスなどの選択である。35人をそれなりに浅くなく映し出そうとすれば、2時間はあっという間だ。
「ねらいを持って」の方向で言うと、クラスの中でも比較的自己肯定感が強そうで、トーカティブでムードメーカー的な生徒から始め、こだわりの強い、一筋縄ではいかない雰囲気の生徒に向かって、2年6組の35人全員の地図を作っていく順序と、個別インタビューで後半の生徒たちが口にする惑いや不安は実は前半の「明るい」子たちからも聞かれていて、「一筋縄ではいかない」のは全員なんだと確認することで、14歳という年齢の(普遍的かどうかはさておき)一般性に触れ冒頭に回帰する構成である。そうして観終わって歩きながら、もしかしたらこれは、少なくともベースは、事前のインタビューで担任の先生が語った順序と視点なのかなと思ったりした。あるいは、一学期の間にずっと観察して得たプロットだろうか。