[レビュー053][読書会] Functional Grammatics (その2)
忙しいメンバーでもなんとか続いている
- Macken-Horarik, M., Love, K., Sandiford, C., & Unsworth, L. (2017). Functional grammatics: Re-conceptualizing knowledge about language and image for school English. Routledge.
の読書会。第6章の報告担当が回ってきたので、その資料についてはPDFを貼るだけの簡単なお仕事で。
[PDF]
「文法と修辞を再統合したカリキュラムへ」というのがシビれるところで、書き手としての成熟度合いの異なる3名のエッセイの具体的な分析がすこぶる面白い。議論は今回も盛り上がった。
資料内でも引いているが、この章に関連させて、
- 渡邉 雅子 (2021).『「論理的思考」の社会的構築: フランスの思考表現スタイルと言葉の教育』岩波書店.
を読んだ。機能文法やその応用への言及は一切ないのに似通ったものが感じられる。
「論理的であるとは、『読み手にとって必要な部分が読み手の期待する順番に並んでいることから生まれる感覚である』」(p. 6。二重鍵括弧内の傍点は省略)。これはカプランの定義を引いているのだが、後に続く読み手を意識した教育内容を見ると、なるほどと思わせられる。「フランス語の文法学習は、第二言語を学ぶための最初のステップとも考えられており、小学校で英語が教えられる時には、フランス語の文法学習と全く同じ方法で英語の文法が教えられている。外国語の習得には、自国語を相対化して見られるという意味がある」(pp. 98-99)。羨ましいぜフランス語…。
加えて、第6章でも西洋的エッセイ指導の動向としてトゥールミン・モデルへの言及があるので、
- 松下 佳代 (2021).『対話型論証による学びのデザイン: 学校で身につけてほしいたった一つのこと』勁草書房.
も読んだ。私自身、10年以上前からトゥールミン・モデルを新入生セミナーなどで紹介してきた1人であるし、実践に裏打ちされた提案として有効な部分はかなり多くあると言えるだろう。使いやすい枠組みのバランス感覚は、さすがの松下先生だ。
しかし、Functional Grammaticsを検討しているからこそなおさら感じることとして、本書の提案は、コンピテンシー・ベーストな議論に乗せやすい、汎教科的な枠組みとしての有効性はあるとしても、端的に言ってロゴスに偏りすぎだと感じる(と言っても、私はトゥールミン・モデルに対して難波先生のような考えをしているわけではない)。例えば、本書で取り上げられているグレタさんのスピーチに顕著なように、ロゴスだけでみれば必ずしもあの伝え方である必要はない一方で、聴衆との関係で主張に共感を得ようとする構成(エートスの側面)や怒りを表明する表現選択(パトスの側面)がある。本書の枠組みやその分析例はロゴス的側面とエートス的側面が一緒くたに枠組に放り込まれてしまっているようにみえるし、パトスはどこでも顧みられないことに、言語の教育としては限界を感じる(そこを感じ取ったり表現する際に大事にしない言語教育でどうするのか)。
さらに言えば、そのロゴス以外の側面に(こそ)お互いの論拠のズレが表れていたりするわけで、現状では見過ごされていることが多いものの、捨象している部分に捨象してはいけないものがあると考える。そういう意味で、言語教育の枠組みとしては明確に不十分であり、この枠組みでは、英語教育については現状のある程度優れたディベート授業以上のものは出てこないだろう。とは言え、Functional Grammaticsの議論を外国語としての英語教育に適用するにはまだまだ成熟が必要(というか私が生きている内にはそんな日は来ないかもしれないとも思うので)、現状の英語教育にそういう議論を当てはめてうまくいくまでは通過することが必要な段階とも言えるかしら。