[本071] 辻ほか(編)『英語教育の歴史に学び・現在を問い・未来を拓く』
ずっしり読み応えのある一冊。
- 辻 伸幸・上野 舞斗・青田 庄真・川口 勇作・磯辺 ゆかり(編)『英語教育の歴史に学び・現在を問い・未来を拓く: 江利川春雄教授退職記念論集』渓水社.
本書を紹介するに辺り、別のところから話を始めさせてもらうのだが、先日読んだ
- 河西良治教授退職記念論文集刊行会 (編) (2021).『言語研究の扉を開く』開拓社.
所収の堀田隆一「英語の歴史にみられる3つの潮流」が非常に面白かった。堀田によれば、現代英語は綴字の「表語文字化」が進んでいるという。例えばphotograph、photographic、photographyはそれぞれ、[fóʊtəɡræ̀f], [fòʊtəɡrǽfɪk], [fətɑ́ɡrəfi]という異なる発音を持っているが、綴りは’photograph’を変えることなく共有している。「アルファベットは表音文字で、漢字のような表意文字とは異なる」というのが一般的な常識だが、’photograph’という綴りのまとまりは、堀田の表現を借りれば上の3語に対して[画] [画ic] [画y]と置き換えられる役割を果たしているのだ(「画」が複数の読み方をするのと同じ、というわけだ)。堀田の論考は、英語綴字の表語的性格が古英語期から近代英語期にかけて歴史的に獲得されてきたことを論じている。
言語学・英語学では以前からこうした記念出版物がよく見られ、分野や当該トピックにとっての重要論文が収録されていることも少なくない。最近の論文オープン化の流れからすると、こうした記念出版物にはとっつきづらさがあるかもしれないし、実際私も学生・院生の頃、大学の図書館にすら所蔵がなく、複写依頼や相互貸借の世話にならなければならない文献に何度も嘆息した覚えがある。しかし、中の人になってみるとよく分かるのだが、記念論文集というのは一方ならぬ思いで作られるもので、その一方ならなさも一通りではなく、その悲喜交交のエピソードを集めるだけでも本が編めそうな奥行きを持っている。恩師への万感の思いを込めて、あるいは講座の鉄の結束の鎖に巻かれて、はたまた旧知の同僚・研究仲間からのはなむけとして書かれる論文は、通常の査読論文・紀要論文とはどこかで異なる味わいを持って、玉石混交の玉と石がそれぞれに響き合う。
という前置きを置いて、『英語教育の歴史に学び・現在を問い・未来を拓く: 江利川春雄教授退職記念論集』だ。23の論文と5つのエッセイ、そして江利川先生自身の回顧で構成された473ページ。実に読み応えがある。上記の重要論文という意味では英語教育政策に関して久保田論考、寺沢論考が必読であろう。私はさらに、下論考(日本の外国語教育史における「一外国語主義」の採用とその結果)、林論考(世界の外国語教育政策から見た日本の外国語教員養成制度)、孫工論考(高校英語教科書における批判的思考力育成の内実)を特に興味深く読んだ。
複言語・複文化主義を論じる際「ヨーロッパでは母語+2」といったことを紹介する一方に、なぜ日本では英語1言語のみの教育が推進されていくのかという問題があり、下論考が歴史的考察を与えてくれる。先般、教員免許状更新講習の廃止が取り沙汰されたが、林論考を読めば、もっと根本的な問題としての「完成品モデル」に基づく日本の免許状主義の課題が諸外国と比較して浮かび上がる。孫工論考の43冊にも及ぶ教科書分析は、まずその量に驚嘆せざるを得ないし、現行の高校4科目における教科書の社会問題の扱いについて明確な示唆を与えてくれる。
上記の記念論文集独特の味わいということで言えば、田邉先生のマニアックで熱い英語教育史論考(日本英語音声教育史: R. H. Gerhardの事績)や寺島節(日本人にとって英語とは何か: 改めて「日本人は世界一の英語下手」論を考察する)、そしてEric Riversを主人公とする斎藤兆史先生の寓話を一度に読めるのは本書だけであろう。
やや高額のため本記念論文集を個人が手にするのはややハードルが高いとしても、学生・院生が手に取りやすいよう、多くの図書館や研究室に所蔵されることを願う。
江利川先生の回顧論考(協同と平等の英語教育を求めて: 指摘英語教育史)は、先生のこれまでの歩みにおける9つの「偶然」を節題に構成されており、偶然の8つ目は「亘理先生からの批判で協同学習研究へ」ということで、畏れ多くも私の名前を挙げていただいた。ここで語られているエピソードは私にとっても「必然としての偶然」であり、感謝するばかりである。私の本への寄稿としては『学習英文法を見直したい』が最初ということになるが、一般向けの著作という意味では、江利川先生にお声がけいただいた2010年の『英語教育』誌の特集「協同学習でよみがえる英語授業」の拙稿が最初であり、それが後に『学習英文法を見直したい』と同年の『協同学習を取り入れた英語授業のすすめ』に繋がった。私を世に出したのは(たいして出てもいないが、少なくとも私を今の私たらしめているのは)江利川先生だと言える。改めて感謝したい。
当時も今もゴロツキもいいところの私であるが、江利川先生も『学習英文法を見直したい』編者の大津先生も、弟子筋でもないチンピラをおもしろがって、真価を発揮させてくれるのがスゴいと今にしてしみじみ思う。私がお二人のような仕事を成すことはないにせよ、これから出会う人たちに対して私もできるだけそうでありたいものだ。江利川先生が実行委員長を務められたCELES和歌山大会で、大津先生とシンポジウムに登壇する機会をいただき、もう一人の登壇者・菅正隆さんに「君は口が悪いなあ!」と褒められたのも良い思い出である。