[レビュー057] 須永『教師の待つ技術』
大西忠治の『授業つくり上達法』や『発問上達法』のような本の需要はいつの時代にもあって、2021年のワンノブゼムというところ。構成も洞察もスマートで、悪い出来ではない。
- 須永 吉信 (2021).『教師の待つ技術』明治図書.
表紙にもある通り、教師が子どもとの関わりで「待つ」目的を(1) 目標到達、(2) 軌道修正、(3) 相手理解、(4) 信頼構築、(5) 一意専心(しないことの明確化)に整理しているのだが、この分類がその後の記述に十分活かされているわけではないのがやや残念。
学生に紹介するかどうかの視点で見ると、それぞれについて、各教科の授業内容やそれ以外の学校生活のもっと具体的なエピソードを通じて、何が「待つ」ことにあたり、どういう困難があり、どう備えたり次に繋げたりしたかを述べて欲しいなと感じる。
明治図書のこういう本なのだからと言われればそうなのだが、もう一つ、全体に権威主義のきらいがあり、「ベテラン」が無条件に良しとされている点に違和感を覚えなくもない。
「高い力量を持ち合わせている」教師が本書で言う「待てる先生」だとして、それは必ずしも「経験豊富な」ベテラン教師だけに限られまい。先達への敬意は大切だとしても、だから「フレッシュで溌剌とした」若手はもっと経験を積んで学びなさい、というのが望ましい世代間継承のあり方かどうか。
そして、主張を言い換えて確認する程度の目的だとしても、「国語の授業名人」、「国語教育の大家」といった枕で引用に信憑性を持たせようとしているところには「待て」と言いたい。その先生方がそうではないからではなくて、その先生方の実践を見たり、実践記録や詳しい紹介を読んだり、本人が書いたものを読んだりすることなしに、その評価だけを鵜呑みにしていいことはないからだ。
著者が届けたい層よりは、中堅〜ベテランが読んで分かる分かるとエコーチェンバーを強めているのではないかと邪推したが、実際のところどういう先生方が手に取っているのかな。