レビュー
[雑感102][映画012]『夢見る小学校』

[雑感102][映画012]『夢見る小学校』

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ビバ名古屋で、遠方に出向かずとも無事に鑑賞できた。まずまず、というところ。

渡辺貴裕さんの感想は鑑賞後まで読まずにおいたのだが、「中の人のほうが自然体で抑制的な語りで、外側から来た人のほうが声高」というのは同意(子弟を通わせた保護者でもある高橋源一郎さんは別として)。茂木さんと尾木さん、特に茂木さんはいつも通り「脳科学」の話でもなんでもなくて、チープなワイドショー感が漂うので要らなかった。まあでも、物語性の希薄なドキュメンタリーなので、そういう補助線がないと一般の人には観にくいのかもしれない。

たしかにドラマらしいドラマはないのだが、茂木さんや尾木さんの解説、それにナレーションも含めて、各断片の意味付けはそれなりに行われている。蕎麦作りや修学旅行の話し合いの切り取りなんかは観ている側に委ねられていてよいが、そういう子どもの試行錯誤が描かれている点で言うと、新田サドベリーを記録した『屋根の上に吹く風は』のほうが編集意図が明確で、逆にこちらの感想も持ちやすいと言える。

個人的には、きのくにのドキュメンタリーよりは、伊那小の先生と桜丘中の西郷校長先生の語りがよかった。前者が悪かったというわけではないけれども、私の不満は、児童・生徒の誰に、あるいはどの集団にフォーカスを当てているかが最後まで定まらないからである(敢えて言えば、ほりさんかもしれないが)。

教育ドキュメンタリー映画として、渡辺さんが挙げている『14歳の栞』のほうが優れていると私が思うのは、特定のクラスにフォーカスを当て、そこに所属する一人ずつを順に切り取り、それがつながって最終的にクラス全体の関係が見えるものになっているから。『夢見る小学校』のメッセージはわかるし、何人かは繰り返し登場し、この学校によって救われたことも示されるのだが、断片的な印象が並べられている印象は拭えない。

例えば、あるグループで、男子の話に聞く耳を持たず年長の男子が困ってしまうシーンの女の子はその後どうなったのか。きのくにを卒業したくないからとスタッフになった女性と、公立学校から移ってきたスタッフは「おとな」として普段どう交わって仕事をしていて、それぞれ何に葛藤し、この記録の数年でどう変わった、あるいは変わらなかったのか。「きそ」の時間はほりさんの英語の授業(の英訳や復唱)ぐらいしか出てこなかったが、卒業生の成績は悪くないとかそういう話より、もう少し色々具体を見たかったところ。西郷校長先生が話していたのが分かりやすい実相ではあると思うものの。

あと、『夢見る小学校』だけど、桜丘中も出てくるし、きのくにもちゃんと中学校があって、生徒も出てくる。そこの接続や9年間の過ごし方というところもキーのひとつなんだから、タイトルはこれでいいのかな、とも思った。

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