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[授業後026] ものに名前をつけた人は誰なのか(英語科教育法で寄せられた質問から)

[授業後026] ものに名前をつけた人は誰なのか(英語科教育法で寄せられた質問から)

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昨年度の英語科教育法で学生から寄せられた質問とそれに対する私の回答シリーズ。

Q. 「窓」や「机」というふうにものに名前を付けた人は誰なのでしょうか。今や当たり前のように使われている言葉でも元々は名前のついていないものだと思うと不思議な気持ちになります。

※面白い質問だったので、私が答える前に、

リフレクションで寄せられた質問ですが、これはとても良い質問で、ここで皆さんの意見を募っておきます。英語や国語の授業でこれを生徒と議論してもよいぐらいだと思います。こういう「ことばに対する不思議」を持てる感覚がだいじで、それに対してどれだけconvincingな説明を考えられるかが言語教育の試されるところ。さて、皆さんはどう思いますか。

と尋ねて他の学生の回答も募った。A3が私の回答。

A1. 名前をつけたのは誰なのでしょうか。という質問に固有名詞で特定して答えることは難しいです。想像ですが、言葉を話し始めた昔の人が家族や仲間とコミュニケーションをとる過程で(その物を取って〜などと言う過程で)物に名前が付けられていったと思います。

私たちの身の回りにあるものは既に名前がつけられているものばかりで、”名前がついていない物”に出会うことは少ないです。なので、もともと机に、窓に、名前がなかったと思うと不思議に思いますが、私たちがまだ見つけていないどこかで輝いている星は、存在しますが、まだ名前はつけられていません。数年前には存在しなかったスマートフォンやCOVID-19も存在するようになってから、完成してから、名前がつけられました。

誰かは分かりませんが、物を見つけて、物を作って、その物を人に伝えようとした時に、初めてその物に名前が与えられるのだと思います。名前をつけた人から、その言葉を伝えたられた相手、その相手からまた別の人へ。このようにしてつけられた名前が広がっていったと思います。

また、「窓」と名前をつけた人と、「Windows」と名前をつけた人は違う人で、つけられた時期も、意味も、過程も違うのかなと想像すると、様々な日本語が様々な言語に訳すことが出来るということもすごいことだなと思いました(この質問に答えるために、物があるから言葉がある、、、言葉があるから物がある、、、、?と考え始めると、ギリシャの哲学者みたいになりそうです)。

A2.もちろんどの物の名前も誰かとても昔の人が付けたのだとは思いますが、その誰がつけたかという問題について、私は名前のない誰かが付けたのだと思います。窓や机というものは比較的新しいですが、例えば空という言葉は、そう名付けた人でさえ自分の名前がなかった時代の人なのではないかと思います。だから、〇〇さんが作ったというような表現はできず、とってもとっても昔の誰かが付けたという言い方にならと思います。

なぜそのような読み方になったのかというのも疑問です。

A3. 「窓」についてちょうど面白い記事がありました。

ものの名前(難しく言うと概念の表示)がどうしてそうなっているのかというのは、語彙意味論という分野でも盛んに論じられてきたトピックです。どういう時に名前が必要になるかと言えば、A1さんが指摘する通り、誰かにそれを指し示したり伝えたりする時です。自分の思考を整理するために名前をつけて区別することもありますが、自分ひとりが分かればいいのであれば「アレ」で十分で、名前はそれほど必要にならないからです。

A1さんが「固有名詞」という言葉を挙げてくれていますが、一つしかない特別なものであれば固有名詞でよいことになります。例えば狩猟採集の生活をしている頃、洞窟や住居の近くに大きな獣がいて、オッコトヌシと名前をつけます。家族や仲間とその存在を共有していれば「今日もオッコトヌシを見かけた」で指しているものは通じます。問題は、オッコトヌシに似ているが、オッコトヌシではない獣を見かけた場合です。ナゴノカミと別の固有名詞で名前をつけてもいいのですが、一頭一頭に名前をつけていたらキリがありません。他の獣と区別して、「あれはオッコトヌシではない、別の〇〇だ」と、両者を呼びたい。あるいは「〇〇の群れを見つけた、チャンスだ、みんなで狩りに行こう」などと言いたい場面があるでしょう。こうして「猪」や「狼」といった種類を表す一般名詞が必要となっていきます。実は「イノシシ」という言葉がそもそも「ヰ(猪)のシシ(肉)」が語源と言われています。「ヰ」は干支の順番でもイノシシを指す際に残っていますが、起源は古い大和言葉より前に遡るかもしれません。4本足の大きい動物に出会った際に驚いた声から来ているのかも。

上の窓の記事にあるように、一般名詞の命名の動機は見た目や機能など言語によって様々です。例えば皆さんが地下鉄やバスで使う「ピッ」は音からついた名前です。しかも誰がつけたというわけでもありません。正式な名称は「非接触式磁気カード」あたりだと思うのですが、長ったらしいし、伝わりにくいので誰も使いません。日常で用いられる一般名詞の多くは、バンド名や商品名のように誰か特定の人がつけたというよりは、安定するまではいくつかの呼ばれ方をしていた可能性があり、最も伝わりやすいものが生き残った結果と言えるでしょう。

A2さんの話は、natural kind(自然種)、つまりその存在がわれわれにとって基本となって名前がついていくものとして語彙意味論で議論されている話に対応しそうです。「空」は音としては「それ」などの指示詞にルーツがあるのかもしれません(専門的に言うと「そ」は自分から離れたものを表す)。実体はよくわからないけど、はるか遠い向こう側にあるもの、という感じでしょうか。最初は大雑把に把握していたものについて、理解が深まったり分ける必要が発生すると名前が細かく分けられていくということもあります。夜空、茜空、曇り空、朝焼け、夕焼け等々。

私が面白いと思うのは、「ピッ」の生き残り過程もそうですが、ものの名前は名づけてそれで終わりではないというところです。A1さんが指摘している「過程」の話ですね。いったん名前が与えられると、同じような形や機能を持っているものがそれに当てはまるかという検討が必要になります。つまりこれは窓なのか、それとも壁の穴なのか、スリットなのか、といった具合にです。それが時間をかけて言葉の意味をだんだん変えていくこともあります。上の記事にあるように、語源のパターンには「換気のための穴」もあり、「穴」と「(それを除く目の)心」でできた「窓」という漢字を使い続けていても、いま窓をそういうものとして捉えている人は少ないと思います。われわれにとっては「建物の外に面した壁につけられたガラスでできたあれ」なわけです。「つくえ」も最初は「衣類や食事を乗せる台」だったそうな。つまり、ものの名前は、全てが常に安定しているわけではなく、揺らぎをもってみんなが使いながら(それと知らずに)その意味を決めていくものだというわけです。

引き続き「ピッ」を例にすると、私はiPhoneにSuicaを入れて日常的に使っているのですが、名古屋に来て、コンビニなどで「お支払いは現金、それとも・・・?」の時に「Suicaで」と言うと、まあまあの確率で「え?」と聞き返されたり「マナカですね」と「修正」されたりすることに気づきました。静岡でも「Suicaで」と言うと「はい、トイカで」と修正されることはたまにあったのですが、名古屋のマナカ浸透率の高さには驚きました(manacaがスマホに対応してくれればmanacaにしても全然構わないのですが)。同じモノを思い浮かべていても地域によってそれに割り当てている名前が異なるわけです。同時に、「Suicaで」と言い続けると自分がヨソモノであると示し続けることにもなるなあと思っていたら、最近「交通系」と言う店員さんが増えてきました。「ピッ」も様々な「ピッ」があるので、paypayなどと区別する必要が生まれたわけです。ということで私も「交通系で」と言うようになっています。Suicaやマナカより「交通系(電子マネー)」のほうが一般名詞的性格が強いので、「ピッ」の名前が今後どうなっていくかを興味深く見守っています。

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