[授業後028] 予習を課すか課さないか(英語科教育法で寄せられた質問から)
昨年度の英語科教育法で学生から寄せられた質問とそれに対する私の回答シリーズ。
Q. これまで、中学も高校も予習を前提とした授業しか受けたことがなかった。教科書本文の内容や語彙はわかっていることが前提として授業が展開されていたので、「予習」を課して授業展開することと授業で教科書の内容を初めて見るのとではどちらが良いのか気になった。
A. 予習をすること自体が悪いわけではなく、むしろ勉強の習慣として望ましいとさえ言えるものですが、それを前提とした授業づくりにはいくつかデメリットがあると思います。(1) 授業が、自由に意見を言ったり互いの考えを交わす場ではなく、予習してきたことの確認・答え合わせの場になりやすい。(2) 予習してこなかった生徒が授業に実質的に参加できなくなったり、(しっかり)予習してきた生徒と予習してこなかった生徒で授業へのコミットメントに差が出やすくなり、生徒のやる気を失わせる原因になる。(3) 教科書本文の扱いについて言えば、ネタバレになるので改めて読む動機が失われやすい、といったことが指摘できるでしょう。
(1)は、(大学の授業のいくつかで皆さんが取り組んでいるように)テーマについて調べて参加するとか、発表準備をして臨むとか、open-endedな問いに対する意見を求めるような予習であれば「確認・答え合わせ」にはなりません(むしろ授業の理解が深まり、予習がメリットとなる)が、そうしたタイプの予習に取り組むためには相応の知識・技能が求められるので、経験や丁寧な準備立てが必要になります。
「確認・答え合わせ」タイプの予習が全く不要とは思いませんが、そればかりだと、先生だけが常に答えを持っていて、自分たちはそれをチェックされる存在という、受け身の姿勢を強める(か、そういうものから降りた生徒たちがWebや書籍で「教科書ガイド」のようなものを求める)ことになるでしょう。学校内での先生の権威的立場を守る意味では楽かもしれませんが、生徒の(生涯にわたる)学習という視点でみると良いこととは思われません。
(3)についても、読んできたことをもとに感想を自由に言い合えればいいのですが、(a)進学校などでは難しめの内容の教科書を採用しがちで、それについてディスカッションできるほどの英語運用力がまだないか、(b)易しめのパッセージだと、ディスカッションできるほどの意見が生まれなかったり、中高生の知的関心の水準に照らして意見を言いたいと思うほど面白くはないという理由から、その内容についてのQ&A = 発問が先生から投げかけられる形が選ばれます。そうすると、事前に予習を求める授業は「確認・答え合わせ」になってしまいます。Skimmingやscanningといったリーディング・スキルを求める近年の流れからも、それを好まない先生が増えている側面もあります。
そういう意味で、外国語の授業は基本的に復習を重視したサイクルで考えたほうがよいと思います。英語科教育法で私が授業前に(「予習」として)課した課題を分析してみるのもいいでしょう。