[レビュー062] 武田・多賀『教師の育て方』
- 武田 信子・多賀 一郎 (2022).『教師の育て方: 大学の教師教育×学校の教師教育』学事出版.
教師教育の諸問題を認識し、それぞれの文脈で議論を深めるキッカケとして、教員養成や採用・研修に携わる者みんなに広く薦めたい一冊。真っ先に共有したいと思ったのは、勤務先の教職センターのスタッフだ。ざっくり言えば勤務先では教職センターがゲート・キーピングの役目を担っているところがあるが、そのやり方はもっと工夫したほうがよいと感じている。本書は「教師の育て方」にとどまらず、教師を育てる課程と過程を社会はどう考えるべきかというメッセージをあちこちに含んでいる(教師を目指すことを辞めることにも意義はあるし、教師にならなかったとしても教職課程を履修することは無駄ではない)。
同時に、本書で総論として展開されている内容は、地域や大学の規模ごとに実態を調査した上で、課題(できること・できないこと)を細かく整理する必要があるとも感じた。教職コアカリキュラムの影響やそれに対する各大学の対応なんかも細かく見たほうがよいように思う。その意味では、一緒に研修を考えている指導主事の先生方にも本書は届けたい。
私は教員免許を持たない「研究者教員」なので、どちらかと言えば本書では批判される存在に分類されそうだが、教育学を出自としながらも特定教科の教育に役割を特化することで自分の立ち位置を作ってきた。幸いにして現在、私とかかわる先生がたに私の「無免許」を気にする人はいないし(気にする人が仕事を依頼しないだけかも)、「なぜ小中高校に勤めたことがないのに先生や児童生徒の気持ちがそこまで分かるのか」と言ってもらえることもある。その意味で、英語教員養成課程に携わる知り合いの多くが本書で指摘されているようなことについてどの程度考えて学生と向き合っているのか、感想を聞いてみたいところ(教員養成系大学の人は少なからず考えていると思いたいが…)。
しかし私自身も、これまで実務家教員と積極的に授業を交流し、「一つのコミュニティ」(p. 51)として教職課程の運営に携わってきたか、あるいは現在携わっているかと言えばそうではない(教職センター員を勤めてはいるものの)。初職の大学はそもそも「英語担当教員」で教職と関わりを持つことがなく、横目で見ていただけ。静岡大学では、専門科目を通じて英語教員養成の一端を担うだけでなく、学部長補佐として、教育の現代的課題科目群や異学年交流プログラムなどの設計・実装に関わらせてもらったりしてきた。ただ、様々な専攻・専修からなる一学年300人規模の課程で何かを変えようと思うと障害が無数に立ちはだかり、それを乗り越えても実現には相当の時間がかかる(動き出す頃には私は既に次の段階を考えていて、内容・方法も変わっていたりする)。
こうした環境で私が典型的な「研究者教員」に陥らずに済んだのは、授業研究を基軸とする教育方法学が専門だからに違いないが、英語教育に特化したおかげだと思う(静岡大学は教科教育以外の専修の先生にも「理論も実践も担」っている同僚が多かったが、私の場合は)。附属学校をはじめとする学校現場との関わりもそうだし、一学年20人の専修内やゼミのレベルであれば(多少怒られたり煙たがられたりしても)個人の裁量で様々な実践的・協働的取り組みができたからだ。
中京大学では国際学部の全員が教員免許を取るわけではなく、全ての専門科目が教職の単位となるわけでもなく、教職課程は学部内のごく一部を占めるに過ぎない。私の担当する授業も、数は多くないとしても、教職とは関係なく卒業のための学部専門科目として履修することができる。と同時に、他の学部でも異なる教科の免許を出しているので、各教科の指導法を除き「教職に関する科目」は学部とは独立した組織の所掌となっている。教職センターやその委員会という形でつながってはいるものの、組織構成上、静岡大学と同じ程度に「一つのコミュニティ」として教職課程全体に関われるわけではない。ポジション的にそもそもそれが期待されているわけではないだろうが、たまたま私は教職課程全体に詳しい教科教育法担当であるので、どこまで刺されるかはこれから次第というところ。他方で、学部の英語教員養成課程に対して私が担う責任や裁量は前よりはるかに大きいので、私のエフォートも当面はこちらに多く割かれることになるだろう。
本書で想定している「教師」の中心は初等教育にあるのかもしれないが、それでも、養成課程の規模や地域の実情によって上記のような事情はかなり異なるので、その腑分けが必要だろうと読みながら考えた。それと同時に、「欠乏が欠乏していたり」(p. 48)とか「最近は遊びより生活」(p. 52)といった指摘には一般的示唆として鋭さを感じた。「欠乏」を感じる側の吟味や、各世代の価値観のズレの捉え直し、社会認識との付き合わせに鍵があるかもしれない。
そして、少しだけ関わらせてもらっている翻訳の今年度中の出版が注で宣言されていて震えた(I got the shivers)。