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[雑感114] “You may have seen…?” No, we’ve never seen nor heard!

[雑感114] “You may have seen…?” No, we’ve never seen nor heard!

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2022年11月27日に実施されたESAT-Jの学習指導要領逸脱問題について。事情に明るくない方は、先ずこちらをお読みいただきたい。

中学校3年生が、準備時間30秒、解答時間30秒で、「あなたは英語の授業で、最近経験した出来事について短いスピーチをすることになりました。次の英文を声に出して読んでください」という指示の下、下記の英文を音読することが求められた(太字は引用者による)。

Do you drink tea? You may have seen that there’s a new tea shop next to our school. It opened last Saturday. Yesterday, I got some tea at the new shop with my family. It was great. You should try the shop, too.

上記のリンク記事で大津先生が書かれている通り明白な学習指導要領からの逸脱なのだが、仮に浜教育長の答弁の通り、学習指導要領が「どのような文法事項を扱うか、また、小中高等学校のどの段階で扱うかについては制限する趣旨とはなってい」ないという見解がまかり通っ(て、最悪、文科省がそれを追認してしまった)たとしても、上記の音読課題には問題がある

実態として、教科書も中学校の先生方も浜教育長のようには学習指導要領を捉えておらず、中学生は上記の”You may have seen …”、あるいは助動詞+現在完了の形式を授業の中で目にしたり耳にしたりしたことはないからである。もちろん、Classroom Englishの範囲で日本人英語教師やALTがそういった表現を授業中に口にしていたり、アリアナ・グランデのBreak FreeなどをWarm-upで聞いて”I should’ve said it before”(前に言っておくべきだった)などの表現に出会っていた可能性はある。しかし、それはそもそも学習指導要領が規定する内容の範囲の話ではないし、中学校卒業までの公教育の教科の教育内容として小中学校に通う児童・生徒に保障されているものではない。それが入試の出題範囲としてまかり通るなら、なんでもありになってしまう。自動車運転免許試験で、ハンドルやアクセル・ブレーキなどのパーツは同じなのだからと突然ワゴン車を用意されて、納得する人がいるのだろうか。

少なくとも検定教科書の中に”You may have seen …”、あるいは助動詞+現在完了の形式は登場しない。出てくれば先生方がそれを解説しなければならないと思うのも無理はないし、そうでなくとも扱うべき語彙・文法・内容は盛りだくさんのてんこ盛りなので、教科書会社はそのような無謀なことはしない。教科書に出てこないのだとすれば、そういう表現を持ち出して生徒をわざわざ混乱させる中学校の先生が多くいるとは考えにくい。だとすれば、受験時までに、上記の表現・構造を意識的に目にしたり耳にしたりする経験はほとんどの受験者が持っていなかったことになる。英語圏からの帰国子女や、英語母語話者の子弟を優位にしただけであり、到達度テストを謳いながら、「『英語として』『自然な流れ』を理解して対応できるかどうかの熟達度をテストしているのであって、受験時までに習っているかどうかに関係なく、とにかくそれに対応できる力を持った者を都の高校は優先的に合格させる」というメッセージを発しただけである。この点だけでも、ESAT-Jを高校入試に利用する不適格性を断じて、生徒・保護者・教員はもっと怒ってよい。

「中学校で学ぶ単語を用い」と言うが、Sapporo is the city where I had lived.のような関係副詞や過去完了の文についても同じことを強弁するのだろうか。「単語」に対する捉え方も浅すぎで、ガンジーのような語彙習得研究者でさえ暴力を振るいかねないレベルだが、浜教育長の答弁が認められるなら関係副詞に苦労する高校生も、「英語を使って何ができるようになるかという観点が重視されて」いるのだからと自己責任論で切り捨てられてしまう。「できんものはできんままで結構」を地で行くような主張なのだろうか。

というわけで、mayとhaveとseenという単語一つひとつの意味を知っていたとしても、助動詞+現在完了という文法構造を理解していることにならないのはいまさら繰り返すまでもない。だとすれば浮かぶ疑問は、理解できていない(というよりもほとんどの中学生にとって未知の)文法構造の意味を正しく理解できるのかということであり、意味を正しく理解できていない(受験者の中学生が最大限がんばってくれたとして、ふんわりなんとなくでしか理解していない)文を適切なリズムで音読できるのか、ということである。中学校教科書の音源程度の速度で読むと最低でも20秒程度はかかるので、制限時間内に何度も読み直している余裕はない。

そこそこ英語ができる生徒でも、おそらく習ったことに忠実であれば、You may / have seen / that…あるいはYou may have / seen that …と区切ってしまうことが予想される。そもそも授業で聞いたことも読んだこともないのだから、頭に???を浮かべながら、You / may(↑) / have(↑) / seen(↑) と、不自然な区切りやイントネーションで読む者が頻出したのではないだろうか(上述のI should’ve said it beforeなどは、大学生でも聞き取りに相当苦労するぐらいだ)。ぜひ(個人情報に配慮した上での)実データの公開と検証を進めてもらいたい。You may have seen (that) / …と「自然な」かたまりでセンスグループを作って音読できた中学生はどのぐらいいたのだろうか。その割合によらず、結局この音読課題が測ったのは、大半は学校英語教育の外側にあるものである。

気になるのはどのように採点されるかということだ。GTECと同じ評価規準で採点されているとすれば、0〜4の5段階で、発音と流暢さについてはほとんどの受験生が1と2に集中するのではないだろうか。日本の英語教師が判定するなら小中学校で習ってきたことに対する微細な差異で評価を分けるかもしれないが、外注されたフィリピンの採点者が聞けば、どれも大同小異と判断されるだろう。とすると、大半の受験生から見れば、この問題は入試において最も重要な弁別性を捨てていることになる。そうまでして守りたいものはなんなのだろうか。あるいは、上述の英語圏からの帰国子女や、英語母語話者の子弟はこの採点規準の下では音読問題に対して高い得点を得ることが予測されるので、彼らの利益だろうか。

「ESAT-Jの作成と実施に関わっている人たちの言語観と言語教育観がいかにいい加減で、貧素なものであるかを露呈している」というのは、本当にその通りだ。ESAT-Jのような試験をこういう形の「選抜」に利用しようとするのがそもそも的を外しおり、不受験者の扱いの決定的な瑕疵も依然解決していないのだが、杜撰に過ぎる。

(写真は https://twitter.com/RaraSensei/status/1577860027788201984 より)

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