[雑感115] 日本教師教育学会公開シンポジウム「大学における教員養成の未来」
会員ではないが、日本教師教育学会の公開シンポジウム「大学における教員養成の未来-『グランドデザイン』の提案-」に参加した。
チャットに投稿して、いつもの如くそれが一番手だったので、鹿毛先生に拾ってもらって発言機会までいただいてしまって(今日は投稿のみで黙っているつもりだったので)恐縮したが、2つコメントをした。
(1) 6年間構想が不要だとは全く思わないが、要求する高い水準に見合った環境・待遇の制度的保障が必須ではないか。その実現に向けた具体的道筋を、部会ないしは学会としてどう考えているのか。秋田先生が触れたこととも重なるが、それがなければ、既に採用試験の倍率が実質1を切る自治体がある上に、労働市場において青田買いに向かわざるを得ないダンピング方向の実態と、今回提言されている高度化の方向が噛み合わず、教員養成の外側の支持を得ることは難しいと思われる。
教師教育学会が運動を担う必要があるのかどうかわからないが、個人的には、給与待遇を含めて、教員不足や超過勤務の常態化の解決にどう寄与できるかといったことがないと…という感じ。
この点で指定討論の松田さんや秋田さんは「(ステークホルダーに訴えかける)目玉(は何か)」や「魅力」という言い方をしたが、その点で言えば、自治体教委によっては(大学院生を対象とした)1年猶予・2年猶予の採用プログラムを既に実施しているが、学生側・自治体教委側の双方にとってそれ以上のインセンティブが提示できているかどうか。端的に言えば、現状で教職は、エントリーポイントで6年の投資に見合う専門職には映っていないのではないか。
しかしながら、個人に訴えかける労働市場の奪い合いでのポン引き的側面で終わることなく、さりとて個人や世間一般の教育に対する期待にアピールしつつも、公教育制度の維持・発展という社会的問題の解決の実装として高度化を描くのは本当に難しいなあと若干途方に暮れてしまう。
(2) カリキュラムについて。岩田先生が「さらなる学び」の支援で話されていたことと重なるが、養成段階の単位の問題としてだけでなく、採用・研修、あるいはキャリアパス全体との関連で、いま現に存在するローカルな諸問題を解決するカリキュラムを構想する必要があるのではないか。
たとえば、教育実習の受け入れを断る学校が現に存在したり、大学側も(運営体制的に貧弱か、負担荷重でそこに割くマンパワーが乏しいために)実習先に任せきりで教員の関わりが希薄だったりする問題が解決できなければ、どういうカリキュラムを描いても、現状の問題を棚に上げて描いた餅にしかならない。そのためには自治体教委等との連携が必須だ。
加えて提案は、学生にとって、ややホワイトリストの肥大に見える。特に開放制の教員養成課程では、現状、教職科目と並行して、課程認定を受けていない、あるいは課程認定を通らない単位を多く履修することになるため、学生の取得単位が多くならざるを得ず、(複数免許の取得を推奨する実態も重なって)200単位近くに迫る場合も少なくない。それが「開放制」の利点の発揮に繋がっているかといえばそうでもないだろう。単位が過密で忙しいのは教員養成系大学も同じだ(だから6年に分散して、という理屈はある程度理解できるのだけれども)。
「大学カリキュラム全体を視野に収める」のであれば、学生が消化不良のまま多くの負担を抱えて走らざるを得ないこうした現状にもメスを入れる必要がある。
開放制の学部・学科で再課程認定時に課程の返上が起きてしまうのも、求められることが多すぎる上に、それが教員養成系大学中心の発想で作られているため窮屈で、大学の側から言っても経営的に運営コストが見合わない、という判断になってしまうからだろう。そうした実態に対してオープンな提言をしようとしている点は評価し、今後も注視したい。
それも含めて、教職周りでポジションを得ている学会員たちの「既得権益」のための議論だと言われてしまえばそれまでなのだが、その既得権益を市場に解放すれば(公)教育はより良いものになるかということは、大学の外にいる松田さんの視点を有り難がるだけでなく、もっと論じ詰めてよいように思われた。