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[雑感116] 3観点の評価の組み合わせについて

[雑感116] 3観点の評価の組み合わせについて

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学生から質問を受けて改めて考えるんだが、英語の授業の評価において、知識・技能がAで、思考・判断・表現がB、あるいは前者B、後者Cというのはどういう場合なのか。

先に別領域の例で整理しておくと、夕食に家族4人分のカレーを作って食べてもらうというタスクがあったとして、十分な量のカレー自体は作れて、家族の腹を満たすことができた(思考・判断・表現B)、あるいはおかわりもしてくれた(同A)が、玉ねぎの炒め方やジャガイモの切り方はもう少しうまくできた(知識・技能B)というケースは普通にあると思われる。タスクがイージーというか、思考・判断・表現の規準をもっと高度にすべきという指摘はあり得るが、家族の満足度をさらに高めるカレーに向けて調理法やスパイスの工夫を求めてもよい。

英語の場合も同様に、例えば留学生に国内旅行先をオススメするというタスクで、伊豆を挙げて温泉やら自然やら食やらを紹介して良い反応をもらえた(思考・判断・表現)一方で、スピーキングのスキルや用いた表現の精度に改善の余地があったというケースは頻繁にあるだろう。

この逆で、タマネギの炒め方やスパイスの調合・タイミングは申し分無しだったが、十分な量のカレーが作るのに失敗したなんてことがあるのかどうか。家族が満足するカレーは作れなかったというケースは無くもなさそうだが、それはそもそも目的・場面・状況を捉え損ねているのではないか。

スピーキングのスキルや表現の精度はAだが、留学生に国内旅行先をそれほどうまく薦められなかったというのは、(1) 知識・技能の規準がタスクに十分関わるものとして設定されていないか、(2) タスクの偶発性が高い(相手の好みに振れ幅が大きい)かのどちらかではないか。

実際は前者の場合が多く、タスクと評価規準の詰めが甘いということになるだろうが、後者の場合、潜在的には十分、思考・判断・表現でAの評価をもらい得る能力を持っているが、「今回は当たりが悪かったね」ということになる。それでいいのか。つまり、先ほどの「タスクがイージー」の逆で、「知識・技能として求めるものは比較的満たしやすいが、タスクがハード」という考え方での運用も確かにあり得るが、評価とはフィードバックであり、手応えと伸びしろを知らせる手段なのだから、英語の授業としてそれでいいのか、という論点だ。

タスクに取り組みがいがあって、そのパフォーマンスの結果を受けて、知識・技能の伸びしろを知り、さらなる改善を志向するというほうが3観点の考え方とも相性がいいし、外国語の学習としても取り組みやすいのではないか。知識・技能をがんばって伸ばし、高い評価を得る水準に至っても、タスク自体の評価に、運に左右される性質が多い場合、学習者にできることは次のタスク機会を待つしかなくなってしまう。そして往々にして授業ではそのチャンスが来ない。

先生方からは、主体的に学習に取り組む態度の評価どうしたら?の質問・相談をもらうことが引き続き多いのだけれど、真に問われるべきは、パフォーマンス課題に対する知識・技能の規準の精度じゃないの?と思う。

というようなことを、日本一美味しいサワラの塩焼きを待ちながら考えた(サワラの塩焼きの評価は今日も思考・判断・表現A。厨房は見えないけれども、知識・技能も間違いなくA)。

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