[レビュー076] 八田・渡邉『高等学校 観点別評価入門』
いただきもの。私自身、ここ数年は先生がたと評価の話ばかりしている気がするし、それ以前からアセスメントは(英語)教員養成課程の弱点だと感じ、授業でも時間を注いで扱ってきた。全国の少なくない先生が、国研の資料であれWebや雑誌の解説であれ隔靴掻痒の感覚が否めず、暗中模索を続けているに違いない。そういう先生方の率直な悩みと評価論分野の諸概念をうまく架橋してくれる文献だ。
- 八田 幸恵・渡邉 久暢 (2023).『深い理解のために 高等学校 観点別評価入門』学事出版.
評価を扱った文献は「ちょうどいい塩梅」が難しい。どの学校種・教科にも当てはまるように説明の一般性を高めようとすると、抽象的になって概念の有効性がつかみにくくなってしまい、他方、実例を充実させると、現実の諸要因に伴う雑味が増して、適用範囲の狭い話に見えてしまいがちだからである。本書は基本的に高校国語科の実践例に絞ることによって、抽象論にとどまらず、かつ迷いのない記述で、最短距離での説明を与えることに成功している。心理測定の議論に偏らず、学習指導要領の(評価観の)歴史的変遷も抑えた上で、2019年版指導要録に対する教育学的観点からの評価論であることも本書の魅力と言っていいだろう。
例えば、
また、「思考・判断・表現」の評価に関しても、同じその中身や評価基準が生徒にとって不透明であったり、そもそも何をどのような指導過程で教えるとどのような思考力がどの程度形成されるのかについて教師に見通しがなかったりする場合、もともと「思考・判断・表現」がすぐれている生徒を選び出すという相対評価に陥ってしまいます(p. 41)。
といったあたりは、国研資料を金科玉条のごとく無批判に「解説」したものとは一線を画す、現実の評価行為の実態に目配りの効いた指摘だ。
本書は、「能力・学習活動の階層レベル」を「知っている・できる」、「わかる」、「使える」の三層で捉える石井英真さん(京都大)の論に依拠し、資質・能力の3観点をどう捉えたらいいかを整理している。単なる要約・紹介にとどまらず、
「使える」レベルに関して、一つ注意したいことがあります。筆者たちは先生方から、高校で教えている知識・技能は実生活に直接的に役立つものばかりではないという訴えを聞くことがあります。その通りだと思います。「使える」とは、個別具体的な知識や技能が直接的に使われるということではなく、教科の「見方・考え方」を軸にした知識・技能の複合体が使われるということです。もし「使える」という表現が実用主義を連想させるのなら、教科の「見方・考え方」という学問のレンズによって自然や社会の見え方が変わるという意味で、「見える」レベルと言い換えてもよいでしょう(p. 54)。
といった指摘は、先生方の痒いところに手が届く記述で、本書を先生方に薦められる所以だ。
ただし、同意できない点もある。本書は、「知識・技能」を上記の「知っている・できる」レベルと「わかる」レベルの学力として、「思考・判断・表現」を「使える」レベルの学力にあたると捉えている。つまり、「思考・判断・表現」を「知識・技能」より高次のものとする立場である。どの単元やパフォーマンス課題についても3観点で満遍なく評価せよという国研資料的思想に与するつもりはさらさら無いが、この階層的整理にも問題がある。
端的に言えばそれは、「思考・判断・表現」が「知識・技能」の上にあると考えた場合、いつになれば学習者は「知的問題解決」や「意思決定」に関わる「思考・判断・表現」をさせてもらえるのか、ということだ。本書第2章の解説を読むと高校国語科の場合は階層的把握に利点もあると言えそうだが、外国語科の場合、この階層的な整理のもとでは、学習者はいつまでも事実的知識・技能を記憶し再生することを強いられかねない。外国語の教授・学習における学習者の「思考・判断・表現」は、具体的な目的・場面・状況の設定の下で行う言語行為によって発揮されると考えられている。英語の学び初めにまず触れるHello. Nice to meet you. I’m Yoichi.といった初対面の挨拶と名乗りであっても、何とかの一つ覚えとして闇雲に繰り返すこともできれば、誰にどういう場面で、どういう言い方で言うべきかを考えた上で相手に向かって発することもできる(返答の”Yes.”一つとっても同じことが言えるという話を亘理 [2021]で述べた)。とすれば、「知識・技能」と「思考・判断・表現」は学習のどの段階においても並列して在るものと考えたほうがいいし、「思考・判断・表現」の評価によって「知識・技能」のニーズを浮かび上がるという道筋ももっと探究されて然るべきだろう(実際その実践の開拓がまだまだ乏しい)。階層的把握では学習のそうした側面がどうしてもそれが捉えにくいのではないだろうか。
とはいえ、「主体的に学習に取り組む態度」を3つに区分する主張は検討に値するし、第1章での明確な教育観の表明は清々しくて、心地よい。
筆者たちは自己評価の核心を、「世界をこのように理解することができた自分」をつくりだし、また「これから世界をこのように追究し、世界をこのように変えていきたい自分」をつくりだすという点に求めます。そしてこのような自己評価を、子どもの全体的・継続的な発達を支援する個人内評価の最も有効な手段であると考えます(p. 37)。
本書を読んだ先生方の感想を伺って、またそこから評価に関する議論を深められると嬉しい。
- 亘理 陽一 (2021).「変わらない言語教育の課題と、言語教育の向かう道筋: 外国語教育を中心に」日本教育方法学会(編)『パンデミック禍の学びと教育実践: 学校の困難と変容を検討する [教育方法50]』(pp. 120–133) 図書文化.