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[雑感127] 附属浜松小中学校教育研究発表会

[雑感127] 附属浜松小中学校教育研究発表会

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静岡大学教育学部附属浜松小中学校の教育研究発表会。4年ぶりの対面開催となったハレの日を運営する先生方やPTAの皆さん、参加者の顔は一様に晴れ晴れとしていた。天気も快晴。コロナ禍以前は、その折り目正しさと躾けられた様子に仰々しさを感じもしていたため、対談で「附属浜松小中の変わっても良いと思うこと」をダイレクトに訊かれた際「もっとちゃんとしてなくてもいいのでは」などと育ちの悪い発言をしてしまったが、年に数回来るだけの共同研究者・講師にはそう見えても、附属浜松小中の関係者にとっては正月のような日であり、節目を慶ぶ日なのだった。

対談の司会ならぬ鼎談の相手S先生の授業を、同じく共同研究者・講師を務める藤本和久さん(慶應義塾大)と共通で見ようと、1時間目は6年の社会科の授業。赤穂事件における徳川綱吉の処断は正しかったのか否か。S先生は、綱吉の再評価に関する教材研究を重ねていても、結論や解釈を与えてしまうのではなく、児童の心が動き、わかったりわからなかったりする過程をどこまでも重視する。資料と議論をもとに各自に歴史学(的考察を)するよう求める先生のこだわりによってもたらされた児童の葛藤は、言葉になったものもあるし、言葉にならなかったものも当然ある。それを十分に拾い授業に活かせたかという澤井先生自身の煩悶とともに、簡単にまとめてしまいたくない処断評価は、次時以降に持ち越された。

プロゴルファーのごとく、しばらくしゃがんで教室の「芝目」を読んでいた藤本さんが目をつけているように見えた(ものの、程なくして離れた)Aさんのグループ。いつもと違う教室の雰囲気に、隣のKさんは「どうしたの、K?!いつも一番しゃべるのに今日全然いないみたい。なんか喋ってよ!」とグループメンバーから叱責されている。そう指摘している3人も緊張はしているのだ。Kさんはそう言われても、首を振って黙している。問いについて4人とも判断はYESとNOの中間で、黒板に貼ったマグネットの位置をグループで正確に再現するでもなく、積極的にどちらかを決める動因に乏しい。Hさんがあれやこれやとつぶやきを投げかけはするが、Aさんは「だってめんどくさいじゃん」と応じる。議論自体を面倒くさがっているのかな?と思ってよく聴くと、「変に吉良に手を出すとさあ、上杉とのことがめんどくさいじゃん」と吉良と上杉家のつながりを踏まえた上での政治的考察だったりするから侮れない。なんなら「自分で手を下さなくても(仇討ちとして)やってくれたから、ワンチャンありがたいと思っていたとか?」と陰謀論的考察も繰り広げられている。

教室には、庶民感覚(というよりも現代の常識的倫理感)から「やり過ぎ」と思う判断と、武家諸法度などの与えられた資料に基づく裁判官的判断と、関係性なども加味した(ある種ドラマ化され過ぎの)判断が混在していた。このグループのメンバーから、全体に向けて意見が共有されることはなかったが、もし指名されていたら比較的明確にYES/NOを表明した児童よりも形の定まらない意見を出し、教室はそのclarificationを要求し、言語化する必要性が喚起されたかもしれない、とも思う。歴史を学ぶ意義を児童たちがつかむとすれば、もう少し長期の学習過程で、藤本さんが見取った「綱吉がバカ」という認識が修正されたり、あるいはそのバカさ加減を解明することが必要だろうし、歴史の諸事でさえ「めんどくさい」で片付けてしまう思春期らしいことば遣いもどこかで精密さを獲得していくことを伴うはずだ(関係者が全員思春期でダルがり、ウザがる『めんどくさい忠臣蔵』は逆におもしろいかもしれない)。

私がおもしろいと感じて鼎談で報告したのは、この4人の中で短時間の振り返りに最も多くの記述を与えたのは、黙して語らなかったKさんだったという事実だ。Kさんは、S先生が比較的長い時間張り付いていたグループの別のKさんの「お家とりつぶし処分によって彼らはもはや武士ではないのだから、武家諸法度が適用される対象ではない」という発言に心を動かされ、「ま」という感投詞を入れつつも、問いに対する解としてひとまず受け入れたようだ。もちろん記述の多さは彼のもともとの書く力によるものかもしれない。しかし、この段階でグループの議論で寡黙であることが、十分に思考していないことや議論に参加していないことを意味するわけではないことは確かだ。

続いて、同じクラスの外国語科の授業。引き続き注目したAさんは、自身のめあてに「自分が一方的に話すのではなく、相手からの質問に答えられるように自分側からも質問したい」と書いていた。社会科の授業での振る舞いからすると私には興味深く映る。しかし彼女は、その後のペアでの会話活動において、中田島砂丘や浜松城といった浜松のおすすめを相手に紹介する際、質問することは一度もなかったのだ。むしろ振り返りには、「鰻重を紹介する際、味や食感を『甘くてやわらかい』と説明したいと思ったので、次回はうまく説明したい」と授業者のねらいを引き取ったようなコメントを認めた。だが、振り返りをそこで終わらせないのが和田先生で、振り返りには「ここが困った!」という欄が用意してある。Aさんは簡潔に「質問するタイミング」と書いた。そう彼女は、質問するタイミングがつかめず、困っていたのだ。そしてそのことを安易にペアに吐露したりはしないのがAさんなのだろう。全体としてはSさんが「つなげて言えない」という談話を構成する難しさの悩みを共有したが、発信者の視点に偏りがちな英語の授業において、Aさんの困り感は、外見の振る舞いとしてはそうは見えないけれども、より良い聞き手になろうとする志向を含んでいる点で(それを先生にのみそっと伝えるところに)グッと来る。

少しずつ増やしながら、波状的に繰り返し表現を導入することは多くの小学校で行われているだろうが、それにしても、敢えて「こういうことを言いたいんだけど」、「あれはどういったらいいのか」というモヤモヤが生まれるように授業を構成し、今日の会話活動の時点では必ずしもそれほど有効活用されないfluffyやcrispyといった味や食感の表現を後の種まきとして導入・練習するW先生に畏れ入る。そういう先生のクラスだから、「つなげて言いたい」、「質問するタイミングをどうしたらいいか知りたい」というニーズが表明されるのだろう。とは言え、プログラムの都合上観れなかった中学校の授業も含め、外国語科・英語科の授業について言えることはまだまだあり、先生方と別途協議の時間を持ちたいところではある。

分科会を経て最後に鼎談。今回も藤本さんの見取りの細やかさに嘆息したのは言わずもがなのことであるが、機器接続確認の際に「鼎談には距離が遠いね」と、それぞれの見取りを写真で報告した後は椅子を真ん中に置いて話しましょうという話になった。そして誰かが司会のS先生には内緒にしておこうと言い出す。すると「いいね、そうしよう」となって、即座に椅子の位置をバミって、椅子を運んでくる段取りが整う。このイタズラ心とフットワークの軽さに心底感心した。相手によっては令和の浅野内匠頭を生みかねない。実際、動揺したSさんのキョドった表情を生涯忘れることはなく、この展開に最も楽しそうに笑顔をこぼしていたのはO校長先生だった。

私の鼎談のパフォーマンスがそれほど冴えたものでなかったとしても、昨日が私にとって最良の日であるのは、こういう学校にゼミ生を4人も連れてくることができ、充実の一日を過ごしてもらえたという事実による。これはいくら払ってもお釣りが来るし、実際のところお金では買えない経験だ。私と藤本さんやJ先生との関係性、藤本さんと附属浜松小中の相性、私と附属の先生方と積み重ねてきた歴史、大勢の知り合い。そういった諸々の全てを語って伝える必要はない。附属浜松小中に来て、授業を観、先生方と語り合えば、大学のいくつの授業にも優る何かを学生たちは得て帰る。教職の「やりがい」をこれ以上端的に教えてくれる場所もない。副学部長として来られていて久々にお目にかかったM先生に(おそらく静岡大学在職中に学部長補佐として出ていた会議中の鬱屈とした表情と比較して)「スッキリした顔をされていて何より」と声をかけてもらったが、異動して楽しく働いているのはもちろん事実であるけども、こうしてゼミ生と一緒にここ附属浜松小中に来られていることが幸せだからですよ、と言いそびれた。

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