[雑感128] ローカルに日々積み上げられる実践の変容に学ぶ
英語教育では、クラス外との交流や遠隔通信と言うとすぐ、オーストラリアやアメリカの学校とつないで…と考えがちだが、学校間・学年間・クラス間でもできる交流はあり、それぞれで児童・生徒が互いにメッセージを聞きたい・伝えたいと思える活動を考えてはどうかと10年ぐらい前から研修等で言ってきた。その後フィリピンの英会話サービスなどが入ってきて、やはりその方が「本物らしい」という揺り戻しは多少あったが、先日の教研で学校間や異校種間の(特にzoomや動画を活用した)交流実践の報告が複数あり、それほど特別のことではなく受け止められていて感動した。変われば変わるものだ。
単元末のGoal Activityの評価規準/基準を先に学習者に提示したほうがいいということも、「走りながらやっている先生方にこんなことを求めるのは心苦しくもあるのだが」と留保をつけつつ、その手の話が求められ出した5、6年以上前から言ってきたが、わりと当たり前になっていた。一枚ポートフォリオを用いた報告などでも洗練されたフォーマットが用いられていた。
これならイケると、かねて気になっていたことを先生方に投げかけてみた。それは「パフォーマンス・テスト」がもっぱら話すこと・書くことに限られていることだ。目的・場面・状況に応じた技能パフォーマンスを求める言語活動(による評価行為)なのだから、読むことや聞くことのテストがあってもいい。一方で、だいたいどこの学校に行っても、「リスニング(力)、どうですか」と聞くと、なかなか伸びないどうしたらいいか、苦労しているという声を聞く。リスニング指導が習うより慣れろの状況になっている状況に対しては、拙稿でリスニング・スキルの指導法を解説したりしてきたが、パフォーマンス・テストを通じたそこを単元のゴールに据えた授業のレパートリーがもっと豊富になるといい。そこで、例えば、ホームズやコナンくんのように、いくつかの証言を聞いて(物証とあわせて)犯人を当てたり、暗号を解読する謎解き脱出ゲームみたいなものはどうですか、と提案してみた。
パフォーマンス・テストのイメージに乏しい以前なら「うーん、先生のおっしゃる理想はわかるんですけどねえ」と流されたかもしれないが、先日の教研では、先生方のその場の表情にもが見え、「実はそういうのをやってみたいと思っていた」、「やる気が出たので形にしてみたい」という声をもらった。ローカルに日々積み上げられる確かで前向きな変化に、むしろ私のほうが励まされ、変わらずに提案をしていく勇気をもらったのだった。