[雑感132] ICTツール使用の向こう側に見えるもの
三重県立飯野高等学校で、高校英語授業づくり研修の公開授業に参加した。英語コミュニケーション科の1年生の授業を見学。高英研との連携講座で、教室の生徒の数をはるかに上回る先生方が集まった。
この日は、タイピングや音読のアプリ、端末での発表資料作成とICTツールをふんだんに活用した授業で、私は今年度、授業者の先生とやり取りを重ねてきたので、先生が、この学科・学年の生徒たちのことを考えてそれぞれにたどり着いた意図や、中長期のねらい、試行錯誤してきた経緯を知っている。ただ、表面だけを見ればツールの一つひとつに良い意味でも悪い意味でも「飛び道具」感を感じる人もいるのだなあと思った。でも本質はツールにあるのではない。今日の生徒たちは多少の「よそ行き」モードだったとしても、タイピングや音読のアプリに向かっている時の彼女らの様子にこそ見るべきポイントはある。
この学科では生徒の7割が外国につながりを持ち、その幅も13カ国に及ぶという飯野高校。どうしてもそこに目が向きがちだが、高校生は高校生。自信のない時は声も小さくなるし、今日は大勢の大人に囲まれて緊張しつつも先生の思いに応えようと授業に参加している。帰り道に学生が「H先生は教室の中で着飾ったところがなく、生徒たちの言動にごまかしのない反応をし、自分の感情と符合する言葉で生徒と関わっているのが本当にいい」といったことを言っていたが、われわれがまず見取るべきは、そういう風に先生が生徒たちと築いている(授業の各活動への向き合い方を支える)信頼関係であり、一人ひとりへの細やかな目配りや声かけなのだ。
一方で、飯野高校のこの学科ならではというところも勿論ある。音読のアプリで、8、9割の判定が返ってきても納得せず100%になるまで繰り返す粘り強さ。さらに言えば、それぞれに強い言語が異なり、発音のクセも多様な教室環境で、全体に対してどのようなフィードバックが可能かという問題。あるいは、グループごとのプレゼンの準備で、日本語で会話をしながらも、ポルトガル語の記事を参照している生徒がいる状況(私の見ていなかったところでは勿論、スペイン語やタイ語や韓国語も)。多言語状況で対象世界の認識や話し合いを深めてもらうにはどうしたらいいのかという問題。
協議会も含めて、ヒントと課題があちこちに詰まった時間だった。