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[レビュ−090] 西野『現代アメリカにみる「教師の効果」測定』

[レビュ−090] 西野『現代アメリカにみる「教師の効果」測定』

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ここ最近で読んだ学術書の中ではピカイチ。著者が重ねてきた研究に基づく博士論文に加筆・修正したものだけあって質実剛健で、構成が明瞭で論理を追いやすい。博士課程以上の研究者はこういう文献をこそ読みたい。

個人的白眉は、アメリカにおける「教師の効果」研究の歴史と理論を整理した第Ⅰ部。「議論の焦点が“概念規定”から“測定方法”へ転換したのがなぜか」と「2000年代以降学力テスト結果が『教師の効果』の主な指標とされている」(p. 35)ことの理論的基盤がどういうものかを文献・資料を丁寧に辿っており、堅実な仕事ぶりに「ああ良い研究!」と膝を打ちながら拝読した。第Ⅲ部で検討されているテネシー州(チャタヌーガ市)の事例と併せて、日本の全国学調や英語教育実施状況調査を批判的に捉える視点も(単に妥当性を云々する大味の議論を超えて)複数提供してくれている。

副題にある通り、伸長度評価の「功罪」を両面からバランスよく捉えているのも魅力だ。

教育学的視座として中内敏夫の(Learned Outcomeではなく)Taught Outcomeという観点を置くことで、功としては、伸長度評価が理念として「全ての子どもの学習権保障を志向して」おり、「『教師の効果』析出過程の丁寧さという制度設計上の意義」(p. 149)が認められる。テネシー州の事例を見れば、運用上も「教師としての尊厳や存在意義の回復に寄与しうるという『承認機能』」や、さらにそれが「同僚との相互承認という『他者』へ開いた形で実現しうる点」(p. 153)が認められる。

罪の方はこれまでにも散々議論されてきたこととも言えるが、課題として、目標論の不在や、「学力テストという一元的尺度から算出するという発想」(p. 151)の限界やそれに対する批判が挙げられ、運用上もそれに応じてワシントンD.C.などの事例で問題が見られる。テネシー州の事例についても、手放しに評価するだけでなく、教育行政上の課題を指摘しているのが良い。「あらゆる教師の士気を高めうる改革がいかに/そもそも可能か」というのはまさに「教育行政学上の普遍的課題」(p. 132)のひとつだと言える。

伸長度評価の計算式が民間企業によって統計的に高度なものとされていることについても詳しい検討が行われている。それが「『教師の効果』析出過程の丁寧さ」を担保している一方で、「学力結果に対する教師の“解釈権”」を疎外し得ることの指摘などは、英語教育界隈にも強めのストレートで投げつけてみたい指摘だ。英語の資格・検定試験についてそういうことを考えている関係者はどのくらいいるだろうか?

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