[雑感139] information-seeking以外の掘り下げの余地
今日は某市の中学校と高校へ。いずれも、この単元、今日に向けて、夏休み前から校内で議論を重ねてくれたことが窺え、畏れ多く、また有り難い。中学校は5月以来の訪問の学校で、私との関係性も既にあるから、質問したいことが山のようにあります、悩みを聞いてください、とあっという間に時間が来てしまった。午後の高校は、校長先生の学校紹介プレゼン付きで管理職も協議会にフル参加する学校一丸ぶりにグッときた。
様々なトラブルが重なって新しいALTの着任が遅れ、今日の授業までに会えもせず、動画を届けたりもできなかった。確かに「この人」という姿が見えていたほうが、メッセージの「宛名」は明確になり、生徒の取り組みの意識は高まりやすいだろう。でも、まだ見ぬ名前だけの存在だからこそ深められる相手意識もあると私は思う。
彼女が準備してくれたカナダの中学校の一般的な校則の記述を読んで深めたなら、自校の校則を説明し、向こうからの質問に答える形だけを「やり取り」と捉えずとも、たとえばペアで、「うちの学校はチャイムが鳴らないので2分前行動なんだけど、カナダのあなたの学校はそうだった?」「それと、あなたがくれた情報で、カナダの学校は靴を脱がないって読んだけど、うちの学校は靴を脱ぐからね」などと漫談風に説明していって、向こうの反応を引き出すのも十分自然な「やり取り」になり得るし、リアクションをもらって分かり合えれば生徒も嬉しい。その説明に、もらったカナダの学校の情報をなんらか含めることができれば、それは聞き手にとって既知の情報と繋がりを持たせようとする相手意識の発露とみなすことができる。むしろALTに必ず質問させ、それに応答することにこだわると、形骸化したやり取りを生み兼ねない。「やり取り」をinformation-seeking、あるいはそれに対するanswer-fillingに狭めない授業を開拓して行きたい。
フェアトレードをトピックとする授業はいくつも見てきたが、教科書の内容やそれまで確認・共有してきたベネフィットからすると、Do you want to buy fair trade products?という質問(具体的な商品名が目的語に来ても良い)に対してNoと応えるのはそれなりに気骨がいる。一方でYesしか出ないと、キレイゴトをなぞるだけになりがちで(選挙期間中の政治家ロール・プレイなら有りかもしれないが)、「でも実際にはダースやメルティキッスを買っちゃいますよね?」とツッコみたくなる。
今日観た高1のクラスは、関係性も良く、準備状況や姿勢からも先生のことが好きであることが窺え、6時間目でも最後まで集中が切れなかった。故に指名した2人目がNo, I don’t.を明確に主張してくれたのだが、むしろこのトピックの授業で重要なのはここからの展開だろう。彼女がフェアトレード製品を買うことを選ばない理由として語ったのは「高いから」であるが、いま現在の彼女の状況からそう思っていることは真実で理解できるとしても、われわれがみんなで考えなければいけないのはThen, what should we do? What can we do?だからだ。何より彼女だってザンビアの子どもや不法な狩猟がどうでもいいと思っているわけではない。読んで考えて準備してきたことからすれば、「高いから買わない/買えない」の返答を「それぞれ意見や考えがあって良い」で済ませてしまうのではなく、追い質問で掘り下げ、他の生徒にも投げかけ、みんなで考え議論する機会にしたい。
現に、近くで「どういうこと?買うか買わないか?要らんくない?」とぼやく男子生徒に「でも、バナナペーパーの名刺持ってたら、ザンビアの子のためにこれを使ってるんですって言えるよ。カッコよくない?」と英語で聞いたら「ネイティブすぎて分からん!ww」と言われたものの、なんとか伝えたら横の女子生徒が「カッコいいと思います!」と言ってくれ、彼も「確かに」と応じてくれたから。その行動がカッコいいかどうかは本質ではなくて、今日の生徒たちには、そういう視点での議論が十分に可能であったということ。
協議会の最後に校長先生が「先生は今日、生徒の声を拾って拡げていけば、もっと授業が楽しくなるよということを様々な角度から具体的におっしゃってくださったのだと思う。その意味で英語科に限らない示唆をいただいた」と、すこぶる有り難い受け止め・総括をしてくださった。先生方の「継続的に来ていただきたいな〜」が何よりの評価。