メッセージ
[本183] 丸山ほか(編)『教育学年報15 生涯学習』
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丸山英樹・濱中淳子・青木栄一・石井英真・下司晶・仁平典宏(編) (2024).『教育学年報15 生涯学習』世織書房.
第3期を振り返る座談会のタイトルが「ポストモダンからビースタへ?」で、ざっと読む。
「ビースタ使い過ぎ問題」あるいは「ビースタ現象」が槍玉にあがっていて、ひょっとすると私(あるいは訳者一同)はそれに棹をさしてしまったのかもしれないし、なんなら『よい教育とはなにか』に引っ掛けた『よい教育研究とはなにか』という訳書名はその趣をいっそう高めてしまったのかもしれない。
まあ批判されているのは、モダンとポストモダンの相剋のような文脈を踏まえず、衒い・ためらいなしに、「規範論の空白」(p. 282)を埋めるための(モダンへの回帰的な方向での)権威づけとしてビースタに乗っかる研究で、私としては「うるせーや。それは読み手や使う人の問題だ」といったところなのだが、共訳者・編集者のおかげで他よりも良い訳で世に出したつもりなので許してほしい。
ただ、先日の読書会の際にも話に出たが、訳者が関わる日本語教育界隈や英語教育界隈ではビースタはむしろほとんど知られておらず、まだまだ手に取られていないと思う(ので、訳者たちとしてはむしろ取ってほしい)。書評をしてくれた柳瀬先生が『よい教育研究とはなにか』を通じて初めてその存在を知って飛びついてしまったというようなところがあるので、国内にビースタの訳書を増やした者として、『年報』編者たちの指摘はそれとして受け止めて、今後の動向を注視しておきたい。私は、『民主主義を学習する』だって『よい教育研究とはなにか』だって、文脈踏まえてちゃんと読めばいい、に尽きると思うけど(私は、後者の訳出に当たって前者を読み直して学ぶところが多かった)。
対談日時は5月2日で『よい教育研究とはなにか』刊行前なので、『年報』編者に改めて感想を聞いてみたいところ。石井さんには『よい教育研究とはなにか』を送ったけど、まだ感想は聞けていない(*)し、石井さん・濱中さんとは教育学会の研究推進委員でご一緒しているのだが、この間こういう議論が交わされたことは教えてくれなかった(そもそも私もビースタの訳書、上梓しましたと報告したりはしていないのだが)。
「ビースタ使い過ぎ問題」あるいは「ビースタ現象」が槍玉にあがっていて、ひょっとすると私(あるいは訳者一同)はそれに棹をさしてしまったのかもしれないし、なんなら『よい教育とはなにか』に引っ掛けた『よい教育研究とはなにか』という訳書名はその趣をいっそう高めてしまったのかもしれない。
まあ批判されているのは、モダンとポストモダンの相剋のような文脈を踏まえず、衒い・ためらいなしに、「規範論の空白」(p. 282)を埋めるための(モダンへの回帰的な方向での)権威づけとしてビースタに乗っかる研究で、私としては「うるせーや。それは読み手や使う人の問題だ」といったところなのだが、共訳者・編集者のおかげで他よりも良い訳で世に出したつもりなので許してほしい。
ただ、先日の読書会の際にも話に出たが、訳者が関わる日本語教育界隈や英語教育界隈ではビースタはむしろほとんど知られておらず、まだまだ手に取られていないと思う(ので、訳者たちとしてはむしろ取ってほしい)。書評をしてくれた柳瀬先生が『よい教育研究とはなにか』を通じて初めてその存在を知って飛びついてしまったというようなところがあるので、国内にビースタの訳書を増やした者として、『年報』編者たちの指摘はそれとして受け止めて、今後の動向を注視しておきたい。私は、『民主主義を学習する』だって『よい教育研究とはなにか』だって、文脈踏まえてちゃんと読めばいい、に尽きると思うけど(私は、後者の訳出に当たって前者を読み直して学ぶところが多かった)。
対談日時は5月2日で『よい教育研究とはなにか』刊行前なので、『年報』編者に改めて感想を聞いてみたいところ。石井さんには『よい教育研究とはなにか』を送ったけど、まだ感想は聞けていない(*)し、石井さん・濱中さんとは教育学会の研究推進委員でご一緒しているのだが、この間こういう議論が交わされたことは教えてくれなかった(そもそも私もビースタの訳書、上梓しましたと報告したりはしていないのだが)。
* その後、日本教育方法学会の時にすこぶる肯定的なコメントをいただきました。
watari
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