[雑感141] やり取りされることを求める生徒の「声」
高校と中学校を訪問。
同僚のちょっとした気遣いから話し始めたA先生は、Any presents give us chances to start conversationというメッセージを置き、やや緊張気味の教室をほぐしつつ人と人のつながりをテーマにした教科書のレッスンに立ち戻った。先生自身が緊張していると言いながらも、実によどみのないQ-Aで、前時に読んだ内容を確認し、黒板に完璧なGraphic Organizer的まとめを仕上げた。この日の授業で念頭に置き続けて欲しいメッセージも生徒が目指すべきゴールも冒頭の数分で出揃っている、と私は思った。
しかしながら、虫喰いでインフォメーション・ギャップをこしらえたハンドアウトが配られ、生徒の意識はハンドアウトに書かれた文の読み上げか、あるいは暗唱に向かってしまう。さらに、その「リテリング」で達成感を得ぬまま、自分の意見を加え、指定のスキットに沿って会話を繰り返す活動がペアを替えて繰り返されたため、途中で先生がrejoindersやquestionsの表現を足そうとしても、生徒たちはそれを欲する状態になってはいない。To buy one to get one freeに引っかけた、「どんなお菓子をあげたいか」に対する各自の回答も、どういう会話をどういうふうに始めるかやto end lonlinessについての思考をどれだけ深め得たかといえば心許ない。
それでも、である。私が観ていたBさんは終始やり取りというよりは勉強としての暗唱に終始しているような振る舞いではあったが、2人目とのやり取りで、初回には触れなかった(たどり着かなかった)ポッキーをあげる旨をぶっきらぼうに伝え、相手からの「どのやつ?」との問いに「極細」と答え、聞き取るのも苦労する声量ながら彼女から「私も(あれ好き)!」という反応を引き出した。彼女に伝わるとも伝わらないとも言えない独り言のように空中に彼が放った「あれがいっちゃん美味い」という(Bさんなりにテンションの高い)コメントこそが、先生に拾って掘り下げて英語にしていって欲しい共感のrejoinderでありchanceだ。Bさんと1人目にやり取りしたCさんも暗唱モードだったが、隙間にアルフォートを誰にあげたいかを訊いてみると、「A先生にあげたい。先生のことが好きだから」と衒いなく英語で返してくれた。そういう関係性のある教室で(なんなら生徒たちがあげたお菓子は、教科書の内容よりも先生のSmall Talkに影響を受けたのだから)、表面的な「リテリング」と自己表現(もどき)が悪魔合体して、力のある先生の魅力を減じてしまうのは不幸なことだと思う。もっと生徒とやり取りしたいし、それに値する「声」はこの日の授業にも少なからずあったのだ。
似たようなことが午後の中学校1年生でも観察された。学校のオリジナル・キャラクターをデザインし、特徴を伝え合う。最後のライティングで5文、10文とどんどん書き進めていくクラスメートに囲まれ、考えながらstudyをstabyと打ったDさんを気になって序盤から追っかけて観ていた。周りの生徒たちの彼の受け容れ方がとても優しい。良いクラスだと思った。
彼がデザインしたサッカーボールのキャラクターは、明らかにサッカーと寿司が好きな彼自身の投影である。他の子が、あれが好き、これができるとプラスの特徴を列挙する中で、He doesn’t like studyという記述が異彩を放っている。F先生は質問!理由!と生徒たちを励ましたが、2回目にDさんとやり取りしたEさんは、たどたどしいHe doesn’t like studyという描写に「えー、『勉強が嫌い』?ふふ、Dみたいだね」と受けた。もちろん貶しているのではなく、Dさんのことを知っていて受け容れているからこそのコメントだ。無理にwhyやwhatの質問をひねり出すことより重要なことは、Eさんのこうした応答にあったのではないか。
Dさんは活動前の目当てに「理由をちゃんという。質問をちゃんと返す。いろんな単語を使う」と書き、振り返りに「単語を覚えられた。質問はあまりできなかった。理由もあまり言えなかった」と書いた。回ってきてそれを見つけたF先生は「質問、なにが訊きたかった?」と掘り下げようとしたが、それよりもEさんとのやり取りをどう感じたか、覚えられたと手応えを感じた単語はなんだったのか、そういうことを聞いてあげたいと私は思った。学力差や英語運用能力の差はあっても、そういう一歩一歩こそをDさんに刻んであげたい。
事後協議会で上記のようなことをわーっと伝えられたにもかかわらず、A先生は「ものすごく整理されて、見えました!今すぐ(次の授業を)作ります!」と意気揚々。同様に向上心に溢れるF先生も授業改善のアドバイスを積極的に求めてくれたが、上記のようなことはありつつも、先生の行き届いた配慮がDさんを包摂する授業空間を作っていることも端々に感じたので、細かい技術的なアドバイスがそれを壊してしまうような気もしてやや逡巡してしまった。英語指導に関する助言を求められる立場で訪問しているのではあるが、包摂に重きを置いて観ざるを得なかった。今では誰にも信じてもらえないが、Dさんはかつての私だ。