レビュー
[レビュー093] 鈴木『崩壊する日本の公教育』

[レビュー093] 鈴木『崩壊する日本の公教育』

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崩壊するアメリカの公教育』ほど興奮を持って読めなかったのは、私の心が荒んでしまったからか、それを上回って社会が荒んでしまったからか。

クレスコ』の連載をベースに「先生が先生になれない世の中」を憂う。連載中に励まされた人も少なくないとは思うが、新書が想定する読者層に思いを馳せると、ここで大裕さんが欠如態として指摘する「先生になる」ということの意味合いが、ふだん学校と直接関係を持たない人たちとどこまで共有できるか甚だ心許ない。

さらに言えば、「公(教育)」について護るべき理想が、本書全体を通じて伝わる部分が確実にあるとはいえ、(大裕さんには明確にあったとしても)各記事ではそれほど明示的に語られていない。それについて異なるイメージを持った人、特に終章を読んでも問題意識を共有できない人に本書の「警告」は警告として響かないのではないだろうか。そんなことを危惧しながら読んだ。

「パブリックスペースは永久的なものでもない。それは流動的で、儚いものだ。だからこそ私たちに求められるのは、パブリックスペースをつくり、またつくり直すという粘り強い努力だ」(p. 259)とある通り、教育関係者は、本書が広く自分ごととして受け止められるパブリックスペースを粘り強く作り続けていかなければならない。

読んで溜飲を下げるためにあるのではなく、目の前を正視して、「荒野」を進む覚悟を決めるための本。

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