レビュー
[レビュー85] 奥村『他者といる技法』

[レビュー85] 奥村『他者といる技法』

Pocket

名著。言語教育に携わるすべての人に読む価値があるが、特に外国語教育にとって第3章「外国人は『どのような人』なのか」は、初出から30年以上が経った現在から見て変化したこと、あるいは変化していないことを含め、今こそ検討されるべきだろう。

先日、ある文脈で先生方と「対話」を主軸に置いたカリキュラムデザインについて話していたら、苫野さんの「自由の相互承認」が出てきて、私が「ああそれはちょっと…(困りましたね)」という反応だったので、先生方が不思議がっていた。何が問題かということは、

  • 青木 栄一・丸山 英樹・下司 晶・濱中 淳子・仁平 典宏・石井 英真 (編) (2021).『教育学年報12: 国家』世織書房.

に収められた苫野さんを招いての座談会を読むと良い。結論的に言えば「『自由の相互承認』って、抽象度の高いレベルで捉えるなら、批判する人はいないと思うんです。でも、経験的な社会科学の観点からみたとき、抽象度の高い概念を操作的に定義する道筋は複数ある。そうすると、なぜこの方法、事例でないといけないのか、という説明責任が生じます」(p. 235)という仁平さんの指摘に尽きる。問われるのは、一方で「未来の教室」事業等に「協力」する苫野さんがその説明責任を果たしていると言えるかということであり、他方で「自由の相互承認」が「抽象度の高いレベルで捉えるなら、批判する人はいない」ことによってマジックワード化してひとり歩きして消費されている状況である。

…といったことを説明した際、本書のことを伝えられなかったのだが、対話や他者を捉える上では、著者の「承認と葛藤の体系としての社会」という社会観・コミュニケーション観のほうがよほど教室内外のリアリティを捉え、(言語)教育をつくっていく力を持っていると思う。平田オリザ『わかりあえないことから』は昔からよく挙げているし、これまで親しんできた弁証法的思考や認知科学の知見から「葛藤」をごく自然に重要視してきたが、さまざまな面で(特に言語教育にとって不可避の対人コミュニケーションの原理・実践を考える上で)示唆だらけの名著なのであった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です