レビュー
[レビュー087] ゴフマン『日常生活における自己呈示』

[レビュー087] ゴフマン『日常生活における自己呈示』

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渡辺貴裕さん(東京学芸大)が主催者の1人となっているブックトークで読んだもの(最終回は自身の科研のイベントがあってあいにく参加できなかったのだが)。

最終章の濃度がすごい。正直なところ途中は、読んでいて退屈というわけではないし、事例はほくそ笑むものも多くあるのだけれど、この機会じゃなかったら長いし、無理して読まないかなあと感じていたのだが、それもあって尚更、最終章のページをめくる手が興奮気味になってしまった。「人を観察する際に使われる印象の源は、そのどちらもが社交的な交際および職務のパフォーマンスに関わるポライトネスと行儀作法の数多くの基準によってもたらされるものだから、私たちは、日々の生活がどれほど種々の道徳的な識別線の網の目に搦めとられているかをあらためて認識することができる」(p. 389)という記述に至る部分は、個人的白眉。ただ、やはりこれを味わうためには、ここまで読む過程が必要なんだろうなとも思う。

つい最近『PERFECT DAYS』を観たこともあり、「この運動のおかげで、オーディエンスのメンバーは、かれらのためにすでに美化されている場所を探訪しては、社会のイドに十分に陶酔できるようになった」(p. 386)という記述(「社会のイド」!)で即座に、THE TOKYO TOILETプロジェクトのことが脳裏に浮かんだ。

第5章(役柄から外れたコミュニケーション)を読みながら思い出したのは、少年の頃に頻繁に体験していたスーパーの符牒。私は小学校1年生から鍵っ子だったのだが、その鍵を持たずに学校に行ってしまったり、なんやかんやとにかくやらかす子だったので、スーパーでパート従業員として働く母親を呼び出すことがたびたびあった。朧げな記憶では、それが「アイオイ町からお越しの亘理様、1階サービスカウンターまでお越しください」というような感じで(正確な名前は忘れたが、現実に存在する地名かもしれないが、近隣には存在せず符牒と分かるような町の名前にして)、従業員を呼び出しているのだとは分からないようにしていた。銀行などで不審者をそれとなく知らせる符牒なら意図は明確だが、ここには、「従業員が持ち場を離れているということを客にあからさまにしてはいけない」といった舞台裏を見せない規範が働いていたわけだ。幼心に「変なことをするなあ、この呼び出し自体が悪いことだからなんだろうな」と思っていた。別のスーパーでは(自分が短期バイトしていたところだった気もするが)、私用の外線電話があった時に「酒販部の亘理さん、調整部から内線です」といった感じで、業務の電話っぽく見せるというのもあった気がする(スマホがない時代の話)。こういうことが、記述を通じて「分かる、分かる」、「あった、あった」とあちこちで増えていくのが本書。書かれていることに対する規範的な良し悪しではなく、こういう分析を魅力と思えるかどうかは好みが分かれるだろうと思う。

その他、ブックトークの第1回で発言したように、BeRealなどのSNSを通じた学生の振る舞いを見ていて常々おもしろいと思っていることにも通ずる、序論・第1章の記述も興味深かった。ところどころに出てくる(権威主義的な色彩の濃い時代の)教師や学校の記述もおもしろい。直接研究に役立つという類の文献ではないが、今まで引用だけで触れてきたゴフマンの著作をひとつ読めたのは嬉しい。

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