[レビュー099] 藤原『分解の哲学』
- 藤原 辰史 (2019).『分解の哲学: 腐敗と発酵をめぐる思考』青土社.
目立って爆発的にという感じではないが、小さい泡が無数に立つようにthought-provokingな読書経験となった。手軽に読める文献ではなく、読み手は選ぶ。今の私には、特にフレーベルの「積み木の哲学」について(第2章)と、カレル・チャペックの未来小説の解説と分析(第3章)がおもしろかった。
「腐敗と発酵をめぐる思考」ではあるが、時々(特に「プラクティカル」なand/or読まなければならない退屈な文献が続くと)無性にこういう文献を「栄養」として補給したくなる。読んでも感想をパブリックにしないことも多い。近年だと松村圭一郎、ティム・インゴルド、ジョルジョ・アガンベンの文献(アガンベンはつい論文にも引用してしまったが…)。かつてその中で筆頭の一角を占めていたカルロ・ギンズブルグのアプローチが、昨年、私の授業研究論を体系化するにあたって重要なキーとして登場することになったから、一見すると「カッコつけて」読んでいるように見えるだけの読書が5年、10年「発酵」すると実を結ぶなんてこともあるかもしれない。
その点で、「生産」と「消費」に偏った(商業的)英語教育に抗うヒントが何かしらありそうという予感はして、「分解」という視点で英語教育を捉え直してみたらどうだろうか、というのは一応、読みながら考えた。第6章の「修理の美学」の金繕いの「壊れ方」の5つの分類(割れ、欠け、ほつれ、ひび、にゅう)をcommunication breakdownやnoticing the gaps/holesについて違った捉え方をするのに使えないかなと思ったりしたが、とかく学習者の言語能力を欠如態として捉えがちな英語教育にとって「金継ぎ」・「金繕い」に当たるものがそもそも何なのかまだ上手く像が結べない。そもそも金継ぎ・金繕いを経験したことがない(やってみたい気持ちはある)ので、活かすとすればそこからだろう。
「けれども、欠けていること、ひびが入っていることを人間の前提とし、その欠けやひびを毎日、少しずつ修繕しながらかろうじてやりくりしていると考えると、金繕いの技法は、サヴァイバルと共存の技法に似ている」(p. 295)。寝かせておくと、「共存の技法」という接点でいつか私の中で「発酵」して言語教育の議論につながることがあるだろうか。